マナーうんちく話604≪武士は食わねど高楊枝≫
今まで、「日本人と酒」「神様と日本酒」「三三九度のマナー」等に触れて参りましたが、ここで改めて「乾杯」と「献杯」についてスポットをあてたいと思います。
なお、すでに「乾杯」についてはコラムでも取り上げましたので、多少重複するかもしれませんが、再認識するつもりでお付き合い頂ければ嬉しいです。
「乾杯」とは、宴席において、お目出度い事を共に祝ったり、健康を祈念したり、互いに親交を深める目的等で、主導者の合図で、共に酒を飲むことです。
二人だけの席でも行いますし、ノンアルコールドリンクでも行われます。
その起源は、中世ヨーロッパで、神様や死者のために神酒を飲んだのが始まりで、やがて今のような儀式になったと言う説が有力です。
また、乾杯時にグラスを合わせる理由は、「酒には悪魔が宿っていて、この悪魔を追い払うためにグラスを合わせ、あえて音を立てる」と言う説と、「昔はワインに等に毒を入れて毒殺するケースが多かったので、この酒には毒は入っていませんよ!と言うことを証明するため」だと言う説があるようです。
戦争で明け暮れたヨーロッパのテーブルマナーには、今流の表現で、「危機管理的要素」が有りますが、頷ける話ですね。
では日本では、西洋のような乾杯の儀式は無かったのか?と言えば、良く似たケースが有ったようです。
テレビや映画の時代劇で見ることが有りますが、戦国時代に、戦に挑むに当たって、盃に酒を盛り、皆でそれを高く上げて、威勢良く飲み尽くし、盃をたたき割って戦地に出向いていたシーンが乾杯によく似ています。
そして、今のような乾杯が日本で初めて行われたのは、160年位前のことです。
日本とイギリスにおいて、「日英和親条約」締結後に、当時幕府の官僚で有った井上清直(いのうえきよなお)一行が、日本にやって来たイギリスの役人を招待した時、晩さん会の席上で、イギリス側の責任者であるエルギン伯爵から、「イギリスでは、遠くで酒を飲む時には女王陛下の健康を祈って盃を交わすしきたりがある」との話を聞いて、井上清直が起立して「乾杯」と叫んだのが初めてだとされています。
ちなみに、井上清直は下田奉行職にあり、幕府きっての外国通だったそうです。ただ、「乾杯」の言葉を、何を根拠に発したのかはよく分かっていませんが、彼が「乾杯」と叫んだお陰で、笑いがおこり、場が明るくなり、宴が大変和やかに進行したそうです。
以後、明治維新と共に、日本は欧米諸国の多様な文化を積極的に取り入れますが、マナーの分野では、当時王制を敷き、世界最強の国で有った、イギリスの影響を多大に受けることになります。
例えば、当時の日本帝国海軍はイギリス式のテーブルマナーを採用しています。
また、今でも葬儀の時には黒い色で装いますが、これも当時の明治新政府が英国政府に、イギリスにおける葬儀の際の服装を伺い、それを真似たのが始まりだとされています。
なお、詳しくは「マナーうんちく話13《葬儀の服はなぜ黒い?》」をご覧ください。
このように、乾杯の儀式を初め、イギリスのマナーは日本人の生活に大きな影響を与えているのですね。