日本人人質殺害事件で後藤さんの想いに応える ~感覚がない人間ほど恐ろしいものはない~
ロシアとウクライナの戦争状態が続いてますが
戦争が長引き、太平洋戦争に匹敵するかと思われる長期戦になり
未だ治まる様子を見せません。
一体いつになれば収拾がつくのか
先の見通しも見当もつかない状態で
仮に何らかの形で終結を迎えられたとしても
その後も解決までには至らず、紛争状態はずっと続いていくのではないでしょうか。
しかし戦争というものは
特に侵略戦争などというものは
誰に何のメリットもありません。
例えば日本の北方領土問題でも
もし日本が自国の領土だと主張通りに攻め入り
戦争によって強引に領土を取り戻したところで
(元々固有の領土であったとしても)
一体誰の喜びになるのでしょうか。
それによって生まれた犠牲者が浮かばれでもするのでしょうか。
そうです、戦争によって何かを勝ち得たところで
長期的に見れば要らぬ犠牲者を生むだけで
誰一人、何一つ浮かばれないんですね。
北方領土問題の話ではなく
たとえ領土を取り戻し(または奪い返し)
民族にとってはそれで喜ばしいかも知れませんが
問題はもっと小さな単位である、「個人」ではないでしょうか。
いくら民族的にはメリットのように見えたとしても
自分や自分の大切な家族や仲間である
身近な存在がその犠牲者になってしまえば
その戦争(侵略)は何一つメリットにはなり得ないでしょう。
戦争によって勝ち取ったものは何だったのでしょうか?
戦争には勝利しても
もう自分の大切な存在はこの世に存在しないのです。
そんな勝利に、そんな世界に何の意味がある?
誰かが犠牲になって喜んでいるのは
歪んで植え付けられた宗教理念や歴史認識
あるいは手前勝手な正義感や民族意識といった旧時代の古い思想でしかありません。
自分が(自分たちが)正しいといった正義の押し付け合い。
そしてその結果が
大切な人を失うだけの、犠牲者と憎しみを生み出すだけの
非生産・非合理的な破壊活動でしかないでしょう。
いくら戦争で勝利しても、結局得るものなど何もないのです。
民族や文化、法律やルール、思想といった様々な対立が戦争を生み出すだけで
自己を他に強要せず、互いの考えや立場を尊重し合うことで
今暮らしている土地や領土にこだわりなく
今いる地と人とのつながりに目を向け大切にしていくことが
本当に私たちが勝ち取らなければならない人生の目標(自己実現)なのではないでしょうか。



