1分でわかる、精神的苦痛からの解消法 ~悩みという時間の概念~
独裁者と言えば政治の世界に限らず
会社経営など上下関係が生まれる環境においては
どこの世界でも自然発生的に存在するのではないかと思います。
歴史的に有名な独裁者と言えば
独裁者の代名詞とも言えるアドルフ・ヒトラーが挙げられますが
ヒトラーはどうして独裁者としての道を歩むことになったのでしょうか?
もちろん歴史的背景の影響もあるかもしれませんが
それは単に一要素に過ぎず
本質的には擁立されて独裁者へと変貌を遂げるんですね。
ですからナチスドイツが台頭したあの時代は
その代表がヒトラーではなくても
ヒトラーに代わる誰かが独裁者として現れる機運にあったわけです。
それがたまたまドイツだったというだけで
必ずしもドイツやヒトラーでなくても良かったのです。
ではどういった機運が人を独裁者に至らせるのかと言うと
周りに誰も責任を負おうとする人間がいないからなんですね。
つまり責任が人を独裁者へと変貌させるのです。
(正義感や使命感といったものも含まれる)
独裁者と言えば支配者のように思われるかもしれませんが
独裁者には支配的な要素が含まれているだけで
完全な支配者とはまた少し違います。
わかりやすくするために私たちの身近な例で言いますと
最終的には自分たちの誰かがやらなければならない状況にあったとき
例えば自然災害によって大きな被害が出たときに
復旧や復興、ボランティアであっても誰かがやらなければいけませんよね。
自分はやりたくないからと誰もやらなければ
インフラ(ライフライン)もいつまで経っても復旧しませんし
ヒトラーであれば経済の立て直しのように
自分が何とかしなければ、何とかしたいという思いから
まるで独裁者のような振る舞いになっていくのです。
ですから支配的な要素はあるものの
決して支配欲から生まれるといった性質のものではありません。
(ゆえに支配者とは少し性質が違う)
災害復旧時でも誰かが陣頭指揮を取らなければいけないように
その指揮者(指導者)は必然的に独裁者のような振る舞いをしなければならなくなるのです。
そこには責任があるからなんですね。
ではこの“責任”を誰も取りたくない、私には無理だと誰も何もしなかったら
自分はしたくない、あなたがやってよと周りから擁立されるように
必然的に責任を負わされる(担わされる)人間が現れてくるわけです。
災害復旧時の陣頭指揮はもちろん
PTAや町内の役員の役回りといえばわかりやすいのではないでしょうか。
(率先してやりたい人がいるなら話は別ですが)
このように誰もやらないから誰かがやらなければならない。
その役回りとして周りに擁立されるように(誰から言うともなく)
独裁者のように振る舞わなければならない人間が現れてくるわけなんですね。
ですから独裁者を生むのは国家や組織、集団といった
社会やコミュニティーが持つ責任逃れの結果であり
その役回りを担わされた者が独裁者となると言えるのかもしれません。
独裁者自身もほんとは自分もそんなことをやりたいわけではありませんから
(誰かがやってくれるならやってもらいたい、できるならやりたくない)
どうして自分ばかりが努力して周りは何もしようとしないのかと
自分の中で増幅された感情が、次第に周りに攻撃的に、支配的なものに変わっていくのです。
(決して本人が自覚してそう思ってるわけではありません)
これが独裁者が生まれる背景であり
独裁者は誰も努力をしようとしない責任逃れの結果であり
ヒトラーのように何もその人物でなくても
やがて独裁者の役回りを担う誰か(何者か)が現れるという性質のものですから
私たちは独裁者が生まれるその背景や性質を理解しておく必要があります。
では考え方によっては
皆がそれぞれに必要な努力をするという責任を担い
誰か一人に責任を担わせたり責任逃れをしようとしなければ
そういった関係の中では独裁者は生まれないと言えるのではないでしょうか。
このような背景から
ここで言ういわゆる独裁者は、心の中に孤独を抱えています。
独裁者というイメージに振り回されぬように
自分がするべき努力を放棄していないかを振り返ってみる必要があるのかもしれませんね。