大阪都構想の住民投票率が66.83%だった事について、そこから見えて来る人間心理
令和の米騒動などと言われてますが
普段は特に意識することもなく当たり前のようにガツガツ食べてますけども
お米一粒の貴重さやありがたみがわかったと思います。
人は貴重となると噛みしめるように味わうんですね。
私は普段量的にはそんなに食べないんですけど
やはりお米がなければさみしいですし
お米を食べないとご飯を食べた(食事を済ました)感じがありません。
昭和や平成の米騒動はもちろん
オイルショックもそうですし
コロナ禍でのティッシュやトイレットペーパーに
マスクの品不足といえば顕著で
なくなりそうだったり品薄となればもう手に入らなくなるのではと
不安に駆られ買い溜めに走る。
皆が皆同じ行動を取るのですから
余計店頭から商品が姿を消してしまうのは当たり前で
そんなことくらい頭ではわかっていたとしても
情報に振り回される人々の様子はいつの時代も変わりありません。
とはいえ情報に振り回される人を非難しているわけではなく
考えたいのは、どうしてこのような現象が起こってしまうのか?ということです。
そうしたらこうなる。
そうしないほうが賢明であるとわかっていたとしても
それでもなお奔走する人が現れるのはどうしてでしょうか?
しかも周りにいる人の数人、社会全体の少数ではありません。
(だからこそ個人や特定の人のことを言ってるのではない)
物にもよりますが
お米でしたら毎回量を減らして少しずつ食べれば良いんですね。
そもそも皆がこぞって買い占めるから店頭にはないだけで
お米そのものが全くどこにもない、日本から全てなくなったわけではありませんし
お米が食べたいというなら求めれば輸入米だってあるはずです。
さらに言えば手間とお金さえ惜しまなければ
何らかのルートからいくらでも買い求められるでしょう。
つまりそんなことはわかってても
何も考えずに衝動的に、直情的に行動してしまうからなのか
考える頭がないということを言ってるのではなく
そうなってしまう理由と原因、メカニズムについてを問うてるのです。
心理的に、学術的に解明されているレベルの話ではなく
もっと根源的な人間の中にある仕組まれた因子を紐解いてみたいですね。
人の個人的な理由だけで考えてしまうと
ただなくなるかもしれないという不安(理由)だけで終わってしまうかもしれないから。
でも本当になくなってしまわないことくらいわかってるはずなのに
それでも買い求めてしまう。
この、“わかってるはず”という考えがクセ者なのでしょうか?
車の渋滞発生のメカニズムにしても
車間距離を詰めすぎるからということが(一因として)わかってても
どうしても前の車ギリギリまで詰めてしまいます。
このようにわかっててもそうしてしまうからなのか
渋滞発生のメカニズムなんて知らない人も多いでしょうし
となるとやはりわかってるのではなく
わかってないから現象が発生してしまうのでしょうか?
とにかくお米にしてもマスクにしても
私たちが勝手に騒ぎを起こしてるだけで(騒動にしているだけで)
有るものを無きものにしているのは私たち自身なのかもしれませんね。