人に思いを打ち明けると、なぜ気持ちがスッキリするの? ~話を聴いてもらう事の効用~
世の中には様々な資格が溢れてますが
皆さんはどのような資格をお持ちでしょうか?
実用的なものから趣味のものなど
専門的な知識とスキルを要するものまで様々ありますが
資格って根本的には誰かが用意した試験や検定があり
それに合格することによって専門家など一人前として認められるんですね。
つまりあくまで基準でしかないわけです。
そこに人格(性格や適正)といった要因は含まれませんし
合格さえすれば誰でもその資格を取得できるわけですね。
運転免許なんて最もわかりやすいのではないでしょうか?
運転技術も未熟なのに
よくそんな運転で免許を取得できたなと思えるような人でも
試験に合格さえすれば誰でも運転することができて
その内容は問われることはありません。
同じ免許資格であっても
それくらい千差万別、格差があるわけですね。
他の資格についても同じことが言えますが
ある一定の基準にはなるものの
資格を持っているからといって優秀であるかどうか
適正であるかどうかはまた別問題なのです。
これは何も資格保持の有無について言ってるわけではないですけども
本当に見るべき要素は、資格があるかどうかよりも
その中身、その内容だと思うんですね。
いや、まず資格だろうと思われると思いますので
もちろんその事を踏まえた上で私が言いたかったことは
例えば心理カウンセリング。
心の悩み相談において
専門家に相談するのももちろんですが
先ほども申しましたように、一口にカウンセラーと言ってもその内容(実態)は千差万別ですから
適性(適合具合)だけに焦点を当てて考えてみると
例えば大きなところでは天皇陛下(及び皇族)の存在なんてとてつもなく大きいんですね。
ここでは天皇制に対する是非を問うてるのではなく
その存在(象徴と言われる)についてを取り上げているのですが
わかりやすく言いますと
自然災害によって被災された地域に赴かれ
そこでの地域の人々との交流や関わりにおいて
多くの人は励まされますよね?力をもらえますよね?
これは言葉では言えない力で
何か専門的な資格を持っているわけでもないのに
その存在だけで、来てくださっただけで元気をもらえ
心が癒やされた感じになります。
つまり資格云々の話ではなく
その存在の大きさ(存在感)の持つ意味だけで
資格の所有を超えた効用を発揮するということです。
特別技術的な事をしたわけでもないですし
他の誰でも良いというわけではありません。
資格の有無に関係なく
その人(ここでは天皇)にしかできない役割(務め)であり
高度で優秀なスキルを持った高名なカウンセラーよりも
よっぽど大きな効用をもたらします。
もちろん資格の有無についてや天皇の話をしているわけではありませんよ。
資格に惑わされ
その資格を所持しているからといって必ずしも優秀か
適性を兼ね備えているかとはまた別の問題だということです。
私たちはどうしても判断基準として
資格だけで優秀であるかどうか、特別かどうかなど判断してしまいがちですが
資格があろうとなかろうと
その才能に秀でた人は秀でてるんですね。
世の中に資格が溢れているからこそ
資格の保有のみでイメージを作り上げていないか?
特に運転免許の例を振り返ってみて考察の参考にしていただきたいと思います。
自分の凝り固まったイメージこそ
心を苦しめる要因となりますよ。
(その凝りを解きほぐす練習にしてみてくださいね)