都合の良いように変わる神仏の教え

宮本章太郎

宮本章太郎

テーマ:思考と考察・生き方を学ぶ

お祭りの行事や信仰上の儀式(形式)といったものは
本来正式なものでなければならないはずです。

正式なものでなければ意味を成さないはずのこれら形式は
コロナ禍(コロナ対策)や混雑の解消といった理由により
略式だったり簡易式な形が考えられ
それで正式なものと同じご利益を得られるなど
自分たちの都合の良いように勝手に形を変えられるんですね。

都合の良いように変えられる(変えても良い)ようなものが行事や儀式だというなら
現在執り行われている形のものは
これまで人間都合によって好き勝手変えられてきた形が残っているものであると言えます。

もし経典などの教えそのものを実践することが重要であるなら
自分たちの都合で変えられるようなものは教えに背いている上に
何の意味もご利益もないと言えますよね。

つまり信仰の理念とはその程度のものだと言うことができます。

もちろんそれで良いのかもしれませんが
人間によって何かと理由をつけて自由に変えられるものなら
神様や仏様の教といったものではなく(むしろ軽んじている。軽視している)
単なる人間のうぬぼれでしかないのかもしれません。

例えば初詣なんてどうでしょうか。

急いでる方は横からお賽銭を投じたり
二礼二拍手一礼の形式も意味もわからずただやってるだけで通用するのですから
そんな都合の良いものがとても神仏の教えだとは思えませんが
このような事情があることを知ることによって
結局は形だけの形式でしかないということがわかるでしょう。

そもそも正式なものであっても
そこにどのような意味があって執り行われているのか
誰もわかって(理解して)やっていないのかもしれません。

逆に考えると何のためにやっているのか
それにどのような意味があるのかわかってないからこそ
都合の良いように変えてもそれで良しとされるのかもしれませんね。

つまりそういうものが私たちのやっていることなのです。

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宮本章太郎
専門家

宮本章太郎(心理カウンセラー)

京都カウンセリングラウンジ

心の健康のみならず、メンタルに関連して起こる様々な身体への影響や健康に関する知識が豊富ですので、うつ対策や不眠症の改善といった、総合的な健康法についても心理学の観点からアドバイスと情報提供が可能です。

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