できるようになるとは何か? ~器用かどうか、能力が高いかどうかの問題ではない~

宮本章太郎

宮本章太郎

テーマ:心理学コラム・心理トレーニング、テクニック

人は年齢を重ねていくと成長し
経験を積んでいくことによってだんだんできることが増えてくると思ってますが
人の人生を長期的に見た場合
むしろできることはだんだん減ってくるんですね。

赤子のときは誰かに面倒を見てもらわないと
自分一人では何もできませんが
成長とともにだんだんできることが増えてきて
自分の力だけで色々できるようになってきます。

やがて成人し、社会に出ていくと周りから何かと要求され
できないことでもできるように努力するように求められます。

果たして人は何でもできないといけないのでしょうか?
何でもこなせないといけないのでしょうか?
他人の要求にすべて応えないといけないのでしょうか?

人が何かができるようになってくるのは
生物学(生命体)として自然に身につくことだけであって
いくら努力してもできないものはできませんし
年齢や経験を積み重ねたからといって自然にできるようになるわけではありません。

そして年齢を重ねて人生も終盤を迎えるようになるとどうでしょうか?

何かができるようになるどころか
だんだんできることが減ってくるわけですね。

人の力を借りなければ1人ではできることも限られてきますし
何ができる、できないを超えて
自分を制御することもままならなくなってくるでしょう。

つまり人に何かできるようになることを求めるのは理不尽な要求であり
自分がやってもらいたいことややらせたいことを相手に要求しているだけですから
相手がその要求に応えられなくても(できなくても)
相手を責めるなんて行為はただ自分の要求を通したいだけなのだと覚えておきましょう。

それでもやってもらいたいなら自分もサポートするべきです。
人に押し付けて(要求して)放置し、サポートも何もしないのは無責任でしかありません。

相手ができない(困難)であることがわかっているのに
無理難題を押し付けることは理不尽だと思いませんか?
反対に自分が要求される側だったらどうでしょうか?

やりたくないのとできないのとでは違うのです。
(やる気など気持ちの問題か、実行・実現不能であるか)

高齢になり足腰(身体能力)が弱り
猛ダッシュで走るように要求したり何でもテキパキこなすように求めても
できないものはできませんし(気持ちはあっても身体がついていかない)
心臓病など持病を抱えていれば命にも関わってきます。

そして参考にしていただきたい考え方なのですが
生きるということは基本は何でも自分でやらなければいけないのですが
どうしても人の力が必要なら(必要でなくてもやってもらいたいなら)
お願いする姿勢で相手に頼んでみてください。

環境(家庭や職場など)、シーンや状況、上下関係などを選ばず
人に何かやってもらうということはお願いするということ。
決して要求しないようにするのです。
(基本は自分がしなければならない、やらなければいけないことなので
相手にお願い(依頼)することなのであってやりなさいと要求することではない)

頭が固いと受け入れられないかもしれませんが
頭を柔軟にするトレーニングとしてぜひ参考にし、実践なさってくださいね。

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宮本章太郎
専門家

宮本章太郎(心理カウンセラー)

京都カウンセリングラウンジ

心の健康のみならず、メンタルに関連して起こる様々な身体への影響や健康に関する知識が豊富ですので、うつ対策や不眠症の改善といった、総合的な健康法についても心理学の観点からアドバイスと情報提供が可能です。

宮本章太郎プロは京都新聞が厳正なる審査をした登録専門家です

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