次々と問題を生み出す、自己中心的な考え方
人間の基本的動作である、歩く、立つ、座るなど
人が生きて生活するのに当たり前のように思っていたこれらの動作も
高齢になるとともにその基本動作すら難しくなってしまいます。
歩くことも立つことも、座ることもまともに出来なくなる。
終いには人の助けを借りなければ自力では出来なくなるんです。
若い頃は出来て当たり前だと思ってませんでしたか?
そんなことも出来なくてどうするんでしょうか?
それが高齢となってからは、その当たり前のことが出来なくなるんです。
自分の力で何でも出来る。
出来ないことは情けないし恥である。
決してそんなことはないんです。
高齢であっても障害を抱えてたとしても
同じ人物であったとしても自分の思うようには出来ない。
自分の体なのに思うように動かせなくなる。
赤ん坊だってそうですよね?
自分一人の力だけでは何にも出来ないんです。
結局人はどの段階にあっても
誰か人の助けや支えなしに生きてはいけないんですね。
人の力を借りて、人に助けてもらいながら生きているのです。
誰が自分一人の力で生きられるのでしょう?
出来て当たり前だと思ってたことが出来なくなる。
そんな日は誰にだってやって来るのです。
しかもそれは若いからといって関係ありません。
若くても高齢でも赤ん坊でも
人は誰だって人に助けてもらいながら、支えてもらいながら生きているということ。
では今皆様方が当たり前だと思っていることは
果たして本当に出来て当たり前なのでしょうか?
誰の力も借りようとせず、自分一人の力でやってのけようとしてませんか?
それがまだ自分の力で出来ていることなら問題ありませんが
自分が思っている当たり前を他人も同じように当たり前に出来るなんて思っていると
いざ自分が当たり前のことを出来なくなったときに
誰も助けてくれなくなってしまうかもしれませんね。
自分は当たり前に出来てもその人にとっては当たり前に出来ないことを知り
自分もいずれ当たり前に出来なくなってくるのだということを心得ておけば
今ある他人の存在というものはどれだけありがたいことなのかに気づけるのではないでしょうか?
だからこそ私は今自分が出来ることがあるなら
出来ない人の助けとしてお力になりたいとの思いで、今の事業に取り組ませて頂いてます。