原発事故が起きた際の避難計画に対する矛盾点 ~人ではなく自分を見れば問題の矛盾にも気づく~
日本屈指の観光地である、京都で特に言われていることですが
「観光公害」についてが社会問題になっており
対策を急ぐように言われています。
問題の内容についてはさて置き
この「観光公害」という言い方もどうでしょうか。
観光に来られるお客様に対して
公害呼ばわりとはいかがなものでしょう。
失礼極まりないとしか思えません。
現地の人にとっては公害でしかなくても
その対象となっているのは人であり、ましてやお客様なのですから
公害なんて呼び方は改めたほうが良いと思うんですね。
単純に呼び方だけの問題というよりも
意識改革としての提唱です。
もし自分が他地域に観光に出かけ
公害として見られていたらどういう気分でしょうか?
せっかくの観光気分も台無しではないですか?
確かに自分自身が観光客の立場であったとしても
やはり混雑していると自分も同じように
他の観光客を公害のように感じるかもしれませんが
だからこそ誰もがお互い快適に過ごせるような方策を考えていかなければなりません。
ただ単に何も考えずに公害なんて呼び方をしているだけでは
観光に来られる方を公害としてでしか意識をしなくなり
その対象が人であることをつい忘れてしまい
結局は観光客払いの過疎化につながる恐れがあります。
もちろん観光客自身も観光マナーの向上に努める必要がありますし
相互努力は不可欠ですけども
観光客といえば公害なのではなく
上手く活性化と共存につながるような
新たな仕組みを構築していきたいものですね。
観光スポットの分散化もその一つだと思いますが
公害ではなく公益になるように
お互いそれぞれが協力して取り組んでいきたいものです。