人に思いを打ち明けると、なぜ気持ちがスッキリするの? ~話を聴いてもらう事の効用~
どういうわけか、精神医学の国際会議(35th International Conference on Psychiatry & Psychosomatic Medicine)にスピーカーとして招待されたのは良いんですが
あいにく私は英語がわかりません。
会議に出席しても言葉が通じませんし、せっかく私の知識を少しでも役立てていただこうと思っても
言葉の壁が立ちはだかって台無しになってしまいます。
もちろん旅費(渡航費)など別の問題もありますが、やはり大きくは言葉の壁が最も大きな問題でしょうか。
このように何か世の中に貢献しようと考えた時に
障害(立ちはだかる壁)のせいで才能が発揮されないまま埋もれてしまうんですね。
(私の場合はたった一つ英語がわからないという理由で)
しかもこの問題は個人レベルではなく社会的な損失です。
世の中には未だ知られない素晴らしい才能を持った人が数多く存在します。
一人ひとり丁寧にじっくり向き合えば、人の数だけの才能があると言っても良いでしょう。
この世の中、何の才能もない人なんていないのです。
(才能とは必ずしも全ての人に役に立つものだとは限らない)
才能とは勉強や学習などで身につくような能力のことではなく
人それぞれが持つ個性的な特徴のことです。
その才能をどのようにして世の中に役立てるかは、個人の問題ではなくむしろ社会全体としての問題です。
いくら優れた才能を持っていたとしても障害(障壁)によって阻まれてしまいますし
この障壁は個人の努力で乗り越えられるような壁ではありません。
だからこそ人の支えや助け合いが必要なんですね。
(協力して壁を乗り越える)
私なんかは学習障害の傾向がありますから
自分の努力で言葉の壁を乗り越えるのは非常に難しいわけです。
語学よりもむしろ数字が苦手な学習障害ですが、障害なのでやはり努力で乗り越えられるものではありません。
(比較的軽度で重度ではないと思いますが)
そこで必要なのが人の助けなのです。
何かできないことを(障壁を)できる人がお互い助け合って乗り越えていくことで
より大きな力となって才能が発揮されるのです。
そしてその能力は人々の心を豊かにしたり世の中の役に立つ能力となります。
今回招待された国際会議でも、言葉の壁というたった一つの障害のために
才能(知識や能力)を共有する貴重な機会を奪われるわけですね。
この問題は協力し合えば乗り越えられない壁ではないはずです。
にもかかわらず貴重な機会を失ってしまう。
こうして世の中は今まで人類発展のための大きな損失をいくつも見逃して来たわけです。(私の才能の話ではなく)
私のような学習障害(あるいは自閉的特徴)を抱えてる人は世の中にいくらでもいます。
人は何かしら障害(障壁)を抱えてるものです。
しかしその能力(才能)を発揮できる場さえあれば、人類や社会にとって優れた能力になるのは言うまでもありません。
これまでにも人類はそうした能力を持った人が発展を支えてきたのではないでしょうか?
科学の分野でもスポーツの世界でも、個性は才能です。
その才能は人々の心に感動や勇気を与えたり、享受する人にとって生きる力にもなります。
障害者健常者じゃない、共に壁を乗り越える努力をしていくこと。
個性という才能に気づき、活かしていくことが人類発展のための社会の努めではないでしょうか。
私はそう思います。
心理カウンセリングではお一人お一人に向き合い
皆様それぞれに合わせた形で才能を社会に還元していくお手伝いをさせていただきます。
そしてこのことが皆様個人レベルの問題を解決することにも繋がることをぜひ覚えておいてください。