人はなぜそんなに他人の事が気になるのか? ~芯のある人が持っている、強さの秘密~
いくらこの社会で素晴らしい功績を残し、知名度の高い有名人であったとしても
その人の存在を全く知らないという人もこの世には必ず存在します。
しかし神や仏といった存在は、必ずどこの国のどんな民族でも共通して知っている存在です。
どんなに有名な人物であってもそれが人である場合、いくら知名度を広げようとしても知らない人が存在します。
ですが神仏という存在は特に働きかけなくても、信じる信じないは別として誰もがその存在を知っているのです。
では人と神仏では何が違うのかと言いますと
実在しているか概念であるかの違いではないでしょうか?
当然ですが人物はこの世に実在しています。
しかし神仏はこの世に実在しておらず、人々の概念上に存在するものです。
つまりそういう人が居るとか居ないに関係なく、概念の上に成り立つんですね。
だからこそ誰もが“知っている”のです。
概念上知ってはいても、神仏がどういうものかは誰も知りません。
直接見たわけではありませんし、絵画や彫刻にしても実際目の前にして制作した物ではありませんから
存在は知っていてもよくわからないのが神仏という概念です。
ここから言えるのは、概念とは誰もが知っているものであり、人類共通のものであるという事。
だから知っていなくても説明すればこういうものであると通じるのが概念です。
そして人物の場合は、いくら説明されても見たり会ったりしなければわからないという事。
ですから神仏を作り上げてるのは概念であり
もし神仏という存在がこの世に実在している(またはしていた)なら、必ず知らないという人が居るはずですから
神や仏は人物ではないのです。
よく人間が神格化されて神となる話がありますが、人間が神になる事などありえません。
ただ崇めてもらいたかったり讃えて欲しいがために自分を神格化するのではないでしょうか。
もしくは偉大だったり社会に貢献した人物の地位や権力を利用するために、他人が勝手に神格化するのかもしれません。
神とは実在した時点で神ではなくなり、人を神仏の生まれ変わりや化身のように思い込むのは
マインドコントロールか詐欺のように騙されている可能性がありますので気をつける必要があります。
何だか恐ろしい話をしてるようですが、気づきや発見から人の心理にどうやって応用出来るか考察してるだけですので
皆さんも考える力を養う読み物としてご覧ください。