大阪都構想の住民投票率が66.83%だった事について、そこから見えて来る人間心理
ちょうど受動喫煙防止法が話題になってますので
喫煙についてのコラムを書こうと思います。
タバコの話題というと、健康被害や喫煙の是非(マナー)について
そして喫煙者VS非喫煙者といったように
何かと対立して議論を戦わすような話にしかなりません。
しかし今回はタバコについて、私の思うところをそのまま書きますので
喫煙の是非や感情論を書いてるのではない事をご了承の上
一つの話題として受け止めていただければ幸いです。
タバコというと現在でも嗜好品という印象が強いと思いますが
私は以前にも記述しましたように
タバコは大麻や麻薬、覚醒剤といった危険ドラッグと同じ類の物であると思っています。
(ただ法律で禁止されてないだけで、性質は変わらない)
個人的にはそう捉えてるわけですが
私の捉え方はさておき
もしタバコが嗜好品だというなら
いつどこで誰が吸おうが、好きな時に好きな場所で遠慮なく吸えば良いと思うんですね。
ましてや法律で規制されたり罰則を設けられる事自体がおかしいのではないでしょうか?
(受動喫煙防止法が議論される事自体がおかしい)
タバコがあくまで嗜好品であるなら、乳幼児や未成年者が喫煙しても問題ないはずですし
どうして他人にとやかく言われたり(禁止されたり)
条例などを設けられたり国から税金を課されなければならないのでしょうか?
タバコの健康被害についてを考えない場合(つまり嗜好品としてのみを考えるなら)
喫煙の是非(善悪)を問うのはおかしな話で
真に問われるのは喫煙者の“マナー”なんですね。
(だからマナーマナーと言われるんです)
そしてマナー論争が過剰になったのが喫煙者の弾圧だったり
法律による規制や取り締まりです。
一応お断りしておきますが、私は大の嫌煙者ですし(頭痛や貧血、低酸素状態など体調不良を起こす)
本当にやめてもらいたい程の禁煙・取り締まり・罰則大歓迎の喫煙禁止法支持者です。
タバコの何が嗜好品なのか全くもって理解出来ません。
ですがこれはあくまで個人的な意見であって、ここで私が本当に言いたいのは
吸う人の権利とか吸わない人の権利とかではなく
タバコが嗜好品であろうと危険ドラッグであろうと
そもそも根本的に問われているのは(問うべきは)
喫煙する人の配慮の問題ではないかと思うんですね。
別にいつどこで誰が吸おうが(年齢に関係なく)問題はそこではなく
目を向けるべきは周りや近くに嫌な思いをする人が居るなら
(たとえそんな事は聞いてみないとわからないとしても)
そういうところでは(その時は)吸わないようにする配慮ではないかと思うんです。
つまり喫煙する人の“心”の問題だと思うのです。(心があるかどうか、心がけ次第、心がけ一つ)
(もちろん副流煙まで考慮した上での配慮)
たとえ私のような嫌煙者だとしても
本当にいざ自分の身近でそういう配慮のある(配慮の出来る)人ばかりなら
そこまで毛嫌いして喫煙者を憎むような事もなければ
法律によって規制や弾圧するような事にはならないのかもしれません。
ちなみに私は喫煙者が嫌いなのではなく
タバコという物が嫌いなだけですよ。(感情的にどうかというより本当に体調不良を起こしますから)
私の周りには喫煙者も沢山いますし
そういう方々にも助けられて、私を支えてもらってる事には感謝しています。
受動喫煙についての是非ばかりを議論するのではなく
感情論のような凝り固まった善悪の対立より
もっと頭をほぐして柔軟な考え方と捉え方でこの問題と向き合いたいですね。
他者に対する配慮や気遣い。
これは何も喫煙に限った話ではないですけどね。