弱者の心理学 ~ルールという己の正義(正義感)と感情論~

宮本章太郎

宮本章太郎

テーマ:心理学コラム・心理トレーニング、テクニック

ルールというのは単に決まり事だけではなく
弱い者が自分を守るための盾、すなわち心の拠り所になるものだと言えます。

ルールがあるとそこに遵守する義務が発生するため
自分の正当性を主張しやすく、何かしら正義感が生まれてそれを盾にも出来ますし
他人に対して己の正義を振りかざしやすくなるのです。(他者に対する自分の価値基準の押し付け)

もちろんどちらが正しいか、それが良いか悪いかという事ではありませんが
例えば交通ルールなんかはわかりやすい例です。

ご存知のように、交通ルール(道交法)は国の定めによる法律です。

違反すれば取締対象となり
罰則を受けたり様々な制限を受けてしまいます。
基本的にはどんな例外も認められません。

しかし交通事情が限られてるような過疎地を考えてみると
そこに道幅の狭い信号機付きの横断歩道があっても
わざわざ信号を守って横断する人も少ないのではないでしょうか。

もちろん中にはちゃんとルールを守って横断される方もいますが
ここで便宜上わかりやすく、あえて道交法を考慮せずに考えた場合
横断歩道(遵守するべき義務やルール)があろうとなかろうと
しっかり安全を確認して、事故のないように気を付けて渡れば
特別何も問題はないわけです。

だったら車の運転手も好き放題でルールを守らなければ
世の中混沌としてしまうではないかという話ではありません。

ルールの是非についてを話してるのではなく
本来は何も問題がないような事象でも
ルールというものがあるために己の正義を他人に押し付けたり(または強要したり)
要らぬトラブルの発生源にもなりかねないわけですね。

“守らなければならない”から、“守らせなければならない”と
自分の正義感によってルールの違反者を目の敵にするような
他者支配というコントロールが始まるのです。
(取り締まるのは警察に任せておけばいいにも関わらず。また、取り締まる権限もないのに)

何度も言いますが、良いか悪いかという話ではありません。

つまりこのような心理の本質は
どこに正義があるとか誰が正しいかというような事ではなく
ルールとはそのルールによって自分を守るための心の支えになるものであり(自分の正当性を主張できる)
例えどんなに不便で理不尽であってもルールこそが全てで正しく(偽りの正義)
弱い者が自分を強く保つための精神的支柱であると言えます。

正直言ってしまえば、安全が確実で事故(トラブル)さえ起こらなければ
ルールも何も問題ないわけです。
(しつこいようですが、ルールの必要性を言ってるのではありません)

ちなみにルールや正義の話ではない証として最後に申しておきますが
このような己の正義や正義感というものは
しょせんは個人の怯えなどから来る、心理的な“感情論”に過ぎないという事です。

ズバリ、皆さんはこのコラムを読んで、正しいかどうか、共感できるか否かを判断してしまってませんか?
私はそういう話をしてるのではないと言っているのです。
(これが自分の価値観や己の正義で対象を判断し、やがては無意味な他者支配やトラブルに繋がる)

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専門家

宮本章太郎(心理カウンセラー)

京都カウンセリングラウンジ

心の健康のみならず、メンタルに関連して起こる様々な身体への影響や健康に関する知識が豊富ですので、うつ対策や不眠症の改善といった、総合的な健康法についても心理学の観点からアドバイスと情報提供が可能です。

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