正々堂々と自分を生きる
有名人や著名な方が亡くなったりすると
今までそんなに興味がなかった人でも途端に興味が出て来たり
世間でも注目を集めて話題になる事があります。
ご存命の内はちっとも話題にすらならなかったのに
亡くなってから業績を讃えられるようになる事は珍しくありません。
何でもそうですが、今ある内にやれる事をやっておかないと
失ってから悔やんだり惜しんでも遅いのです。
ただし、失ってから気づく事があるというのもまた事実。
つまり今の努力が誰にも認められず、誰からも評価されなくても
後々になってその功績が認められ、賞賛を得られる事だってあり得るわけですね。
それはもしかして自分が生きてる内に得られるかもしれません。
だからといって今出来る事を今の内から努力して最善を尽くさなければ
何かやった気になってるだけでは後々になっても誰も見向きもしないでしょう。
生きてる内から名を残すような
そういう努力や功績が後々になって認められるようになるわけです。
つまり“先人から学ぶ”とはこういう事なのです。
今の自分が誰からも認められないからと
何の努力もしなくてもいいや、自分なんて生きてる価値なんてないなどと
そういう意識で生きてる事自体がそのような結果を引き寄せてるわけですね。
これこそまさに“なるようになる(なるようにしかならない)”という事ではないでしょうか。
人に認められるために努力するのではない。
自分のして来た努力が人に認められるようになるんです。
ここを履き違えて努力を怠らない事。
日々精進する心こそが人に認められるようになるんです。
人に認められるかどうかではない。
自分の道を行く、我が道を進む。
そうして人は惹き付けられるんですね。
あなたの努力は今しか見てない努力ですか?
それとも自分のためにする努力ですか?
いずれにしても人に認めてもらう事を意識してるようでは
きっとその努力は誰にも見向きもされないでしょう。
既成事実という言葉もありますが
事実は構成される前から既に成しているのです。
ぜひ先人たちから学びたいものです。