人に思いを打ち明けると、なぜ気持ちがスッキリするの? ~話を聴いてもらう事の効用~
KYという言葉があるように、空気が読めない、空気を読めと
やたら空気を読まなければならないような風潮が流行っているようです。
このように空気空気という風潮はいかがなものかと思いますが
その場や人間関係、コミュニケーションといった空気ではなく
全体の流れを読む力はやはり必要だと思います。
他人に併せるような空気ではなく
例えば成人式で暴れる若者なんかは
よっぽど空気が読めてないと言えます。
つまり空気が読めないとは
空気が読めるかどうかという個人の能力ではなく
奇をてらった余計なことをする、行為そのものを言うのです。
たしかに周りとは異なる奇抜なことをすると目立ちはしますが
そんな事を周りは期待してません。
そういう時にこそKYと呼べるのであって
他人の期待に応えられないのがKYなのではありません。
わざわざ流れに逆らうような事はするなという事ですね。
そもそもKYの言葉が使われるような場面では
お前は余計なことしなくてもいい
黙っとけと、引っ込んどけというように
個性を抑え込むような使われ方をされてます。
こういう陰湿な使われ方は、相手が自分の思い通りにならないからであって
言われた方がほんとに空気が読めてないのではありません。
自分の都合の良いように捻じ曲げて使われてるだけなんですね。
言われたからといって自分を責める必要はありません。
本当に空気が読めるとは
例えばビジネスシーンなんかで世間の流行を追えるような
能力の長けた人のことを言うんです。
個性には、こうじゃないといけないというような決まりはありません。
個性とはあなたの持つ能力なのですから。
相手を制御、コントロールしようとするKYという言葉は
自分の思い通りにならない感情を一言で表しただけの
単なる便利で、都合の良い言葉でしかありません。
それで自分の気持ちを整理、処理してるんですね。
もしもあなたが場にそぐわない、奇抜なことばかりしてるなら別ですが
それでもそれが個性としてなら無理に抑え込む必要もありませんし
いくら個性とはいえ、それが自分でもどこか無理してるなぁと違和感を感じるならば
やはりそれは単に空気が読めてない(自分の能力ではない)
KYという事になるかもしれませんね。
一般的に使われるKYの意味として
空気の読めないことに恥じる事はありません。
言った側が何か能力に長けてるわけでもないですし
それこそ能力とは人それぞれの持ち味で、違うものなんですから。
他人と比較するようなものではないんです。
空気なんて読める人の方がスゴイだけなんですよ。
だって、空気を読む能力に長けてるって事なんですから。
むしろ空気なんて読めない事の方が普通なんです。
普通って何かですって?
そういう特に気にしなくていいようなところを
敏感に気にしてしまうような感性をお持ちの場合
もしかするとKYと簡単に片付けられてしまうのかもしれませんね。
そしてちっとも気にしなかった人は
空気の読める、つまり能力のある人なのかもしれません。
もちろんどちらがどうとか、優劣の話ではないですよ。
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