自然と健康
不幸中の幸運のお話
久しぶりの家族旅行にいきました。
そして、怪我をしました。
雪山で滑って転んだんですけどね。
ひとり、ロッジへ。
雪山を退散し、痛みとともに白いゲレンデを眺めて過ごしました。
こういうことが起こると、かつては、「何か悪いことしたかな?」なんて、まるで何かバチがあたったかのように考えていました。
滑って、バランスを崩して、転んで、怪我をした。
起きたことはそれです。
そこにバチなんかはありません。
今回お伝えしたいのは、バチどころか「幸運」があるというお話です。
ヨガの教えに『おにぎりの小石』という小話がありました。
美味しそうなおにぎりをガブリ、もぐもぐ噛んだらガリっと音がして、歯が欠けてしまった。
おにぎりの中に入っていた、小石を噛んでしまったのです。
そうしたらあなたはどう思いますか?
最悪ですね。
おにぎりを食べて、大事な歯が欠けてしまったと。
けれど、これが「幸運だった!」と、感じることができることをご存知ですか?
状況は変わりません。
視点を変えます。
小石が入っていることを知らず、美味しそうなおにぎりをガブリ。
もし、歯には当たらず飲みこんだら、小石は食道を傷つけながら内臓に入ってしまった。
小石が粘膜や内臓を傷つけ、そこから内出血や細菌感染が起き、開腹手術、入院、もしかして。。。
でも、歯が欠けただけで済んだ、というお話です。
私の場合。
転倒して、坐骨、仙骨、大臀筋を打撲。
骨と骨盤、腰全体に激痛が走りました。
その後、立ち上がれたものの、痛みで座ることも寝返りすらできなくなりました。
骨の損傷はなかったものの、臀部の筋肉が裂傷を起こしている様子。
まともに座ることはできず、立ち上がるたびに激痛です。
でも、もしも!?
骨が損傷していたら、立ち上がれずそのまま救急車で入院です。
皮膚が切れていたら、縫合手術でしばらく日常生活は不可能です。
下半身の神経を痛めていたら、半身不髄なんてことも。
想像するとゾッとします。
だから、このくらいで本当に幸運でした。
あのまま快調に滑っていたら、スピードも出て、もしも!?のうちのどれかになっていたのかも知れません。
せっかくの家族旅行。
レンタルボードもリフト券も、ちょっと勿体無かったですが、ロッジでハチミツのかかったゴルゴンゾーラのピザと熱々のコーヒーを楽しみましたよ。
美味しかった!
ゲレンデで滑る大切な家族にも、反面教師として少し気をつけてもらえたかも知れません。
つらいことや痛いことは、決してバチなんかではありません。
不幸中の幸運です。
禅の教えにも、ものごとには原因や理由があると言われます。
「因縁生起(縁起)」をどう受け止めるか?
ものごとは因果だけででは成り立たず、ご縁があってはじめて生起します。
できれば、つらいことや痛いことは起きてほしくはありませんが、
何かが間違っている、気をつけなさい、という警告でもあります。
そのままでいると、取り返しのつかないことになるから、気づかせてくれている。
転倒して、もっとひどい怪我だったとしても、それは「因縁生起」なのでしょう。
では、もっとひどい時は?
何事も「比較」を持ち出すとキリがありません。
今ある状況を受け止め、その中で最善を尽くす。
それしかできません。
人間も自然の一部。
どうにもできないことばかりです。
それでもやはり、無事でありますようにと手を合わせて良き縁を祈ります。
色々あるけれど当たり前の毎日に感謝です。
人間には、1日約9万回の心拍が起きています。
都度、地球二周半 (10万km)の長さと言われる血管に血を巡らせています。
50歳で、約14億回。
「心臓」という小さな臓器が、一体どこにどう繋がっているのでしょうね。
もう、生きていること自体が摩訶不思議です。
そして、起きることには必ず意味があり、大いなる力に感謝しかありません。
不幸どころか、有難い幸運に感謝。
お尻はホント痛いけど、本当によかったです。
もし、日常で辛いことや痛いことがあったら、このお話を思い出してみてくださいね。