「恋愛」を参考にして「情報発信(アウトプット)」の本質を考えてみる―「置き換え」で見えてくる世界―
今日の目次
・あのアラン・ドロンが・・・
・私の好きな俳優たち
・何故、アラン・ドロン?
・絶対的美男子という存在
・ひねくれ者フランス人の評価
・悪(ワル)の魅力もまた・・
・渋みを増す魅力と日本でのⅭⅯ
・コートの襟を立てて
あのアラン・ドロンが・・・
とうとう、あのフランスの名優アラン・ドロンが亡くなった。長年のファンとしては喪失感が大きい。
1960年代から70年代にかけて、世界を席巻した人気俳優だったが、その後は地味な活動だったようで、特に近年新作映画のスクリーンでその姿を見ることはなかった。それでも、往年の名作や人気作への出演も多く、特に日本では絶大な人気を誇っていたこともあり、私の記憶から消えることはなかった。オールドファンにはそういう人も多いのではないだろうか。
私の好きな俳優たち
映画は全般的に好きで、今でもよく観ている。近年活躍しているスターにも好きな俳優女優は多く、彼ら彼女らが出演する映画はよく鑑賞している。しかし、このシネマの世界で、私の頭にパッと浮かんでくる名優たちはアラン・ドロンを始め、既に鬼籍に入った人たちがほとんどである。
ジャンポール・ベルモンド、マルチェロ・マストロヤンニ、ポール・ニューマン、スティーブ・マックイーン、イヴ・モンタン、チャールズ・ブロンソンなど、いずれも彼らが現役時代からその活躍ぶりを見てきたスターたちだ。みんな好きな俳優たちだし名作も多い。
また、こういう人たちのその後のスターとして、ハリソン・フォード、リチャード・ギア、トム・クルーズ、ブラッド・ピット、ジョージ・クルーニーといったカッコいい人たちも出てきている。彼らはまた現代的なイメージの現役スターたちだ。(今回はすべて男性俳優をあげさせてもらいました。好きな女優さんたちはまた別の機会に。)
何故、アラン・ドロン?
こんな素晴らしい俳優さんたちが多い中でも、アラン・ドロンは私にとって特別な存在であった。世界的な人気ランキングや役者としての存在感、演技力の評価などで言えば、上記の俳優の中にはアラン・ドロンより上位にランクされる人もいたと思う。それでも彼が、私にとって最も好きな俳優であり続けたのはなぜだろうか。
絶対的美男子という存在
まず認めなければならないのは、彼が文句なしの美男子俳優であった、ということである。絶対的美男子と言ってもいい。世の中にハンサム(現在ではイケメンという言い方が一般的ですが)と称される男優はいくらでもいる。その時代その時代で、美男ゆえに人気を博す俳優は多い。
とはいえ、そんな美男子でもどこか特徴はあるものだ。例えば、リチャード・ギアとかは、すごいイケメンと思う人もいれば、全体的にはカッコいいけど顔だけだとそうでもないと思う人もいるのではないだろうか。トム・クルーズも若い頃は美しい顔をしていたと思うが、今は年齢にもかかわらずあんなに俊敏な動きができるのがすごい、といった評価に変わっているのではないかと思う。
話はちょっと逸れるが、日本の俳優で最近思うのは、私の基準からすれば「え、これがイケメン?」と思う若手俳優も多い。例えば、綾野剛とか菅田将暉とかがイケメンと言われると「へぇー、そうなのかなあ・・・・」と思わされてしまう。だいぶ美男子の基準が変わってきた、ということだろう。
ひねくれ者フランス人の評価
まあ、そういったいろいろな評価がある中、アラン・ドロンのハンサム(イケメンではなくこの言葉を使います。)ぶりは、そういった時代によって変わるかも知れない美男の基準を超越した美形だったのではないか、と思うのだ。どの時代の誰が見ても、その美形の前にはひれ伏さざるを得ない美形とでも言おうか。
もちろん、好みというのはあるもので、彼のことを別に好きでもないという人はいくらでもいたとは思う。しかし、そんなアンチな人であっても、彼がハンサムであることは認めざるを得なかったのではないか。
ちなみに、本国フランスでは、美男俳優という存在はその見てくれに頼るあまり演技力や男性的な魅力に関してはいまいちで、実力派俳優の前では一段下に見られているという話だ。私からすれば、そんなひねくれ者のフランス人をしても、彼の美男子ぶりと努力の末に獲得した演技力は認めるしかなかったのでは、と思っている。
悪(ワル)の魅力もまた・・
ただこれはあくまでも外形的な話だ。この(美男という)要素は大きかったが、もちろんそれだけが彼の魅力だったわけではない。私にとっては、むしろ彼が「極めて健全な好い奴ってわけではない」というのが、惹きつけられる要素でもあったのだ。最終的な局面では、人を寄せつけない冷たさというか、孤独を背負った影のようなものというか、そんな佇まいが彼の魅力でもあった。
だから彼の場合、ギャングとか犯罪者とかの役の方がはまっていたように思う。成功者やヒーローみたいな役もこなしてはいたが、やはり、影のあるアウトロー的な役がよく似合っていた。
渋みを増す魅力と日本でのⅭⅯ
また、先述のハンサムの記述と被るのだが、そんな美形の男が年を重ねていくにつれて、先述のダークな部分もありながら渋みを増した中年男性に変わっていく姿が、若い頃の彼よりももっとカッコよく映ったものである。
ああいった美形の俳優は、得てして年を重ねるに連れて、どちらかと言えば崩れていく姿を見ることが多い。しかし、アラン・ドロンの場合は逆だった。30代から40代くらいにかけて、若いときほどの大作には出演していないものの、スクリーンに映し出されるその姿は益々カッコよく見えたのである。
またちょうどこのころ、日本では紳士服ダーバンのコマーシャルに出演して、そのカッコ良さをますますアピールすることになる。新興ブランドのダーバンは、彼を起用したこのⅭⅯ一発で、ビッグブランドにのし上がった。大物俳優を起用して、それが大当たりするというパターンの、まさにその走りみたいな出来事だったのではないだろうか。
コートの襟を立てて
こうやって、彼のことを書いているとキリがなくなる。私の若い頃、フランス映画と言えばカッコいい男が軒並み登場するお手本のような存在だった。コートの襟を何とかして見栄え良く立てたくて四苦八苦したものである。タバコの吸い方にカッコつけたりもしたものだ。しかし近年、コートの襟を無理に立てる着こなしはどうもダサいらしい。タバコもとっくの昔にやめてしまった。
映画やテレビのⅭⅯに憧れて、アラン・ドロンみたいな男に成れたら、と思ったのももう遠い昔の話になってしまった。しかし、である。懐古趣味と言われてもいい。やはり、中年以降のあの渋い佇まいのアラン・ドロンを追っかけてみたいな、と今でもちょっと思っているのである。
こりゃあ、余計な一枚