70の手習いには厳し過ぎた?―初めてのチャレンジ、ボロボロの肉体に涙した日―
補導の先生に・・
もう60年くらい昔、中学時代のお話になります。私は友達から借りた文庫本を数冊抱えて、夕方遅く、すでに暗くなりかけた町中を自分の下宿へと歩いていました。
すると運悪く、町内を巡回していた補導担当の先生に見つかってしまったのです。それほど遅い時間でもなかったので、厳しく咎められたわけではありませんでしたが、まだ中学生だった私は「今頃、何をしているんだ?」と、問い詰められました。
私はとっさに「と、友達のところに借りた本を返しに行くところです。」と、うそをついてしまったのです。ホントは借りて帰るところだったのに、このちょっとしたうそをついてしまったのには訳がありました。
ヤベェー、どうしよう!?!
というのは、何冊か抱えていた中の一冊が、あの頃結構話題になっていた官能恋愛文学の作品だったからです。小説の題名は「チャタレイ夫人の恋人」。今では、れっきとした純文学作品として評価されていますが、その性的な描写があまりにも過激ということで、発禁本に指定されたり裁判沙汰にもなった作品でした。
そんな本を借りてきて、これから読もうとしている、などということがバレたらまずい、ととっさに思ったのでした。(アホな浅知恵ですよね。借りてこようが返そうとしていようが、そんなもん一緒なんですけどね。)とにかく、そんな本を抱えていたので、私は大いに焦ったのです。
『うわーっ、こいつを見られたらどうしよう。「こら、いったいなに考えているんだ、こんな本抱えて!」と怒られることは間違いない。ヤバイなあ・・こいつを見られたら。』と、心の中で自問自答しました。なにしろ、中学1年か2年生の頃の話です。未熟なわりには、変なところでマセていたのでした。
あわや!見つかる寸前で・・・
そうしていたら案の定、「なんだ、その本を見せてみろ。」と言われたのです。私はとっさに「チャタレイ夫人の恋人」を一番下にして、4、5冊抱えていた本を先生に渡しました。上の3、4冊は夏目漱石とか芥川龍之介とか石川達三とかの著作です。
先生は上から順番に見ていって、3冊目くらいでもういいか、と手を止めました。「じゃ、できるだけさっさと帰るんだぞ。」といいながら、本の束を私の方に返してくれたのです。「チャタレイ夫人・・」まで行き着きませんでした。事なきを得たのです。
これが中学時代、補導されそうになった時の一件であります。まあ、今から見ればどうってことのない話ですが。
発禁図書に指定された過去が・・
「チャタレイ夫人の恋人」は、イギリスの作家、D・H・ローレンスによって書かれた恋愛小説です。発表されたのは1928年でしたが、当時その性描写が過激ということで、イギリスだけでなく各国で発禁図書となったのです。
その後、日本でも翻訳本が警視庁によって発禁になったりして、裁判にもなりました。なんだかんだでそんな騒動が収まって完訳版が出版されたのは、1996年(平成8年)のことですから随分時間がかかったことになります。
今では立派な純文学作品として通っているのですから、当時の騒ぎはいったい何だったんだ、というくらいの話ではないでしょうか。私が補導されそうになったのが、1965年前後のことでしたので、あの頃はまだ補導担当の先生などに見つかったら結構絞られたかも知れません。
そんなこと、知らんがな
で、その後でありますが、当然、事なきを得て下宿に持ち帰った「チャタレイ夫人の恋人」を、私はむさぼり読んだはずです。にもかかわらず、そのあらすじや興奮したであろう自分の姿が全く思い出せないのです。
あれだけ、冷や冷やしながら、補導の危機をくぐり抜けたにもかかわらず、肝心の文学の内容が記憶にないというのは情けない話です。どうしちゃったんでしょうか。(知らんがな・・)
時系列からすれば、当時完訳本はまだ世の中に出ていなかったので、それは当然読んでいないことになります。ということは、今更だけれど「チャタレイ夫人の恋人」、もう一回手に入れて読んでみるっちゅうのもありですかね?(それこそ、知らんがな・・)
PS:ちなみに「チャタレイ夫人の恋人」は何回か映画化されているようですので、そっちの方で知っている、という人が多いかも知れません。私が覚えているのは、1981年、「エマニエル夫人」で有名なシルビア・クリステル主演のものになります。「エマニエル夫人」といえば、彼女がでっかい籐の椅子に座り、半分裸みたいな姿で、大胆に足を組んだ映画のポスターが目に浮かびますな。
現在の机の上。
文学作品などほとんどなくなっていささか味気ないなあ・・