70の手習いには厳し過ぎた?―初めてのチャレンジ、ボロボロの肉体に涙した日―
3人の少年は・・
あれは確か、小学校5年生か6年生の頃だったんじゃないかと思い出します。私は、仲の良かったA君やS君とはよく一緒に遊んでいました。
たぶん、その日は日曜日だったと思うのですが、お昼近く我々3人は、町の裏側に連なる高台への小道を登っていました。私たちの手には、さっき町のパン屋さんで買ったクリームパンやジャムパンの袋がぶら下がっています。
3人の少年は、高台に登って町やその先に広がる海を眺めながら、パンを食べようともくろんでいたのでした。頂上まで登りきる少し手前に、低い灌木の途切れた場所にちょっとした草地があって、座って下を眺めるにはちょうどいい大きさの岩もむき出しになっていました。
牛乳飲もうよ
我々3人は、そこに座り、さあパンを食べるぞ、と取り出そうとしたときです。誰が言い出したのか覚えていませんが「ねえ、パン食べるんだったら牛乳も飲みたいね。」と切り出したのです。「そうだよなあ。パンだけだと喉に引っかかるし、牛乳があればいいよね。ちょうど買えるくらいお小遣いも残っているし。」と、他の2人も賛同したのでした。
「よし、急いで下に降りて牛乳を買ってこよう。」ということになりました。そこで3人は袋に入ったパンを岩の上に置いて、細い山道を下り、牛乳を買いに走ったのです。
途中、同じ坂道を登ってくる農作業帰りみたいなお婆さんとすれ違いました。町まで下りると我々は、残っていたお金をはたいて牛乳を買いました。牛乳を手にした我々は、また息を切らしながら坂道を駆け上ったのです。
消えたパンの謎
そうして、低い灌木の途切れた場所にある先ほどの原っぱに辿り着きました。
と、そこで、パンが置いてあるはずの岩の上を見ると・・・何もない!
パンが消えている!
さっき確かに置いていたはずのパンが跡形もなく消えていたのです。3人は呆然と顔を見合わせました。
そのとき、私たちの頭に浮かんだのは、降りるときすれ違ったお婆さんでした。ほかには考えられません。あのお婆さんが持って行ったに違いない。しかし、お婆さんの姿はもうとっくに消えていたのです。
まあ今だったら、そんななんでもないところに置いてある食べ物なんて危なくて誰も持って行ったりしないでしょうが、当時はパンも結構なごちそうだったのです。お婆さんは「あら、うれしい。」と持って行ったのでしょうか。
呆然とした我々3人は、ひどく落ち込んだに違いないのですが、その後どんなやりとりをしたか細かいことはもう覚えていません。たぶん、空しく牛乳だけ飲んで解散となったのだろうと思いますが、まあ考えてみれば、これはほんの数十分間の出来事だったことになります。
曲とシンクロする思い出
実は、この数十分の間、私の記憶に明確に刻まれている別のことがあるのです。それは、この間ずっと町のスーパーから流れていた音楽です。当時は今ほど騒音問題などもうるさくなく、商店街では結構な音量で外に向かって流行りの曲など流していました。
明確に覚えているのは、このときかかっていたのが「ブーベの恋人」という映画音楽だったということです。映画は確か悲恋の物語だったはずで、曲も哀愁溢れる悲しげなメロディーでした。
パンをなくして、ガックリきている少年たちには、まさにぴったりの曲であったのです。あれからもう何十年も経っていますが、この曲を聴くたびになんともトホホな少年時代の思い出がよみがえってくるのです。
ばっかじゃないの!
結婚してからのことですが、この話をカミさんにしたら、心底馬鹿にしたように「なんでパンを置いたままそこを離れちゃったのよ。ばっかじゃないの!ほんと、男の子って抜けているのよね。」と、ムベもないのでした。
『少年時代の俺にまで、そんな言い方しなくてもいいじゃないか。』とも思いますが、一緒になってから、私の言動の数々にいささか呆れているカミさんにとって『この人は、子供の頃からやはりアホだったのか。』と確認できたことで、ことさら腹が立ってくるのでしょう。
まあ、アホをしでかしたのはこれだけではありません。思い出せばまだまだ出てくることは間違いないのであります。だから私は息子にしても孫にしても男の子にはいささか寛大なのです。
この海を眺めながらパンを食べるはずが・・・