震災の心のケア、阪神・淡路の教訓
阪神・淡路大震災で友人を亡くした若者が心を閉ざすように
阪神・淡路大震災から19年を迎え、その間に東日本大震災が発生し、その復興が途上という現状の中、震災の記憶の風化も危惧されています。私自身、被災した人たちのケアをする機会があり、今も継続もしています。
阪神・淡路大震災の時、仕事で神戸に住んでいたある若者。震災当日は帰省していたため本人は被災を免れましたが、彼の友人が被災して亡くなりました。大学時代からの友人が亡くなり、彼は悲報を受け入れられず、復興の手伝いをしながら神戸を離れずにいましたが、突然、会社を独断で退職し、アパートにこもり出します。見かねた家族が故郷に帰るように促し帰省はしましたが、その後も精彩を欠き、覇気のないまま日々を過ごしていました。両親は途方に暮れて、息子との接点を見い出せず、そんな折に来談されました。
彼は、もともと受け身で、自分から積極的に家族に話すタイプではありませんでした。しかし、言われたことはしっかりとこなそうとする、おとなしいやさしい人柄です。将来に希望が持てず、人との接触も極力避け、家業を少し手伝う日々が続きました。震災のことは本人の口からは一切出てきません、むしろ避けているような感じだったようです。両親は息子との接点を求めて毎日、試行錯誤します。少しでも反応があれば喜び、無反応なら嘆き、波の激しい毎日を両親は経験します。
「震災の影響が強かったのか」と当初は思っていたそうです。しかし、「自分たちの育て方が悪かったのか」「自分たちは息子をわかってあげようとせず、関心を持っていなかったのではなかったか」「障害を持ってしまったのか」など、原因を探し、不安はとめどなく出てきました。
被害に遭わなくても間接的に心身に不調が出る人も
彼を家族との生活に少しずつ参加させることを目標に、彼を含めた家族の現状行動を客観的に見ていくことから、彼の心情を予測。家族からのかかわりに強弱をつけ、ゆっくりと家族の思いを行動に移していきました。次第に、家族生活から家業を介在に社会へと目がいくようになり、自分の生活・人生に向き合う兆しが行動に表れてきましたが、10年近くを要しています。その時々の状況・現状を真摯に受け止め、自分たちの弱点を素直に表に出し、再び現状を認めることの繰り返しの中で、家族間を含めて人との関係を広げ、それぞれの人生観に変容をもたらすきっかけとして「震災」を受け止めようとしているようです。
思いもよらない突然の災害・被害に遭遇すれば、当事者は当然ながら深い悲しみ、絶望感、 恨み、怒りなど陰性感情が噴出、あるいは心中に渦巻いていると、周囲は受け取り、ケアの必要性を強く感じます。しかし、直接の当事者ではなく、また被害にも遭っていなくても間接的に心身の不調が出て生活に支障が出てくる人の例も見受けられます。
「状況」への受け止め方や感じ方は千差万別で、関係ないと言い切れないことも知っておくべきで、ケアも必要となってきます。災害被害は誰にでも起こりうる現象なのですから。