感性価値を高める「良いデザイン」の定義
「良いデザイン」の基準は、対象が「個人」か「市場」かで異なる
関西同友会が「日本企業にとって従来からの強みである機能や品質、技術といった『機能価値』だけでなく、顧客から感動や共感を得ることによって顕在化する『感性価値』を高めることが重要であるとし、これらの価値を高めるための力を『デザイン力』と定義した上で、日本企業は『顧客を十分に掌握しながら感性価値を伸ばす一方で、機能価値をも革新することでより多くの顧客を獲得する』戦略を採るべきである」と提言しました。
「良いデザイン」とは、それが「個人」のためのものなのか、それとも「市場」に向けてのものなのかで大きく基準が異なります。個人にとっての「良いデザイン」というのは、好みの問題であり、それぞれの尺度によって変化するので、明確な定義付けをするのは難しいでしょう。
本来デザインというものは、その対象が「市場」であることが原則であり、個人のためのデザインは、「デザイン」というより、その人のための「作品」だと思います。対象が「市場」である以上、市場で受け入れられる必要があり、たくさん売れていかなければならないと思いがちです。そして、それがビジネス的にも正解と思われるでしょう。
大衆に「売れるデザイン」は「良いデザイン」か?
しかし、よく考えてみると、これは非常に危険な定義であることに気づきます。たくさんモノを売るためには、大衆に広く受け入れられなくてはなりませんから、大衆がどんなものを望み、欲しているのかをリサーチしてからデザインをするというのが、一般的とされています。
ただ、これは一歩間違うと「大衆迎合」に陥り、デザインが大衆の好みに合わせるということになってしまいます。デザイナーの立場から極めて偉そうな言い方をすれば、本来デザインのプロではない大衆のレベルにデザイナーが合わすということなのです。そのような方法は、どんなデザイナーにもできることで、どんどん同じようなモノが市場にあふれ、互いに競合することになります。その競合がさらに激しくエスカレートすると、やがて価格破壊や過剰サービスを誘発し、負のスパイラルが始まり、最悪の事態となってしまいます。
現在、モノが売れるか否かは、「デザイン」だけで決まるような時代ではありません。むしろ、それ以外の力の方が大きいともいえます。ですから大衆に「売れるデザイン」が「良いデザインか」というと、疑問が残るのです。
「半歩先」を考えること自体が、まさに「デザイン」
では、「独創的で、今までに見たことのないようなデザイン」が「良いデザイン」なのでしょうか。大衆のレベルよりも二歩も散歩も前を行くような、正しいかどうかの判断もつかない先進性や極端に個性的なデザインは、なかなか受け入れられることはないでしょう。個人的嗜好の強いアートとして話題にはなっても、ビジネスとして成功する可能性は少ないと思われます。
「良いデザイン」とは、「大衆を半歩先に引っ張り、次に売れるだろうものを見せることで、新しいマーケットを創造できるモノ」が「良いデザイン」だと考えています。その半歩先というのがどういうモノか。それはデザインされる対象によって違います。しかし、「半歩先」を考えること自体がまさに「デザイン」なのです。
大衆を置き去りにせず、「これからはこうなんですよ」という誘導できるモノ。それを見た大衆が興味をそそられ、購買意欲をかき立てられることで新たな市場が生まれる。そういう図式が成り立たないといけません。そうすることで市場が活性化され、次のチャンスが生まれる。こういった好循環を作り出すことがデザインの使命であり、また「良いデザイン」といわれるための必須条件ではないでしょうか。