「明日ママ」子ども偏見被害の責任は?
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?フィクションでも社会的差別や偏見を助長することは許されない
ドラマは所詮はフィクションであり、虚構の世界です。番組の最後に「このドラマはフィクションであり、実在の人物・団体とは何の関係もありません」という趣旨のテロップが流れます。フィクションなのですから、多少の誇張やデフォルメはむしろ当然とすら言えるでしょう。実際、「そんなアホなぁ!」と呆れてしまうお話だってドラマには登場します。
しかし、「フィクションだから何でもOK」というわけではありません。ドラマの脚本・演出で、例えば誰かを傷つけたり、社会的差別や偏見などを助長することは許されません。たとえ「表現の自由」が認められるとしても、他者の権利を踏みにじってはいけないという「内在的制約」が存在するのです。
熊本市の慈恵病院が「明日ママ」に強く抗議する理由
今、日本テレビ系のドラマ「明日、ママがいない」に多くの批判が集中しています。児童養護施設を舞台にしたドラマで、主人公は芦田愛菜ちゃん演じる少女「ポスト」ですが、このあだ名は少女が「赤ちゃんポスト」に預けられたことに由来しています。この脚本監修は、かの有名な野島伸司氏です。「野島作品」はタブーに挑戦し、時代に切り込むものが多いと言われてきました。過激な脚本や演出が問題視され話題になることもしばしばですから、日本テレビ側としても今回の「騒動」は少なからず織り込み済みだったのでしょう。
熊本市の慈恵病院が、「フィクションとして許される演出の範囲を超えている」として日本テレビに強く抗議していますが、これにはちゃんとした理由があります。慈恵病院は「こうのとりのゆりかご」という「赤ちゃんポスト」を運営する、わが国で「唯一」の病院です。「赤ちゃんポスト」と言えば、慈恵病院のことを意味します。そのため、視聴者にこのドラマがあたかも慈恵病院や関連する児童養護施設をモデルにしているかのような、とんでもない誤解を与えかねないのです。
また、子どもを虐待から守る立場にある児童養護施設を「虐待の温床」として描いていることも問題です。仮にドラマの舞台が「学校」なら、私たちの想像力も十分に働きます。例えば「女性教師が実は暴力団組長の孫娘でケンカがめっぽう強く自分の生徒を守るためにチンピラたちと闘う」というドラマ(日本テレビ系「ごくせん」)を見て、その設定を「事実」と信じる人はいないでしょう。視聴者は漫画チックな設定を笑って受け入れ、ただの娯楽として楽しめるのです。
しかし、児童養護施設のことを私たちはほとんど何も知りません。ですから「明日ママ」を見て、どこまでが本当で、どこからがウソで、どれが誇張やデフォルメにあたるのか、的確に判断する材料を持ち合わせていないのです。直感的に「それはウソだろう」と思っても、それがどれだけ実態とかけ離れたものかは断言できないわけです。大人でもそうなのですから、子どもたちはもっと混乱するでしょう。その意味で、「知ったか振り」でドラマを作ってしまう側の「責任」は、非常に重いと言わなければなりません。
たかがドラマ、されどドラマ。はかり知れない影響力を発揮する
現に児童養護施設で生活をしている子どもたちがいます。その子どもたちが学校で「ご飯の前に泣くの?」とか「ペットみたいにお試し期間あるの?」などと、心ない級友の「からかい」に遭わないとも限りません。そのような偏見や差別の助長にかかわる事実が現実に発生したことも、あちらこちらで指摘されています。とても残酷なことです。たかがドラマ、されどドラマ。いったん放送されてしまえば、良きにつけ悪しきにつけ、はかり知れない影響力を発揮してしまうものなのです。
多少の「やり過ぎ」は話題作りのため。それで視聴率がアップすれば願ったり叶ったり。超人気の天才子役・芦田愛奈ちゃんの名演技で「一億お茶の間」を泣かせたい。そんな安易な制作意図から始まったのでは?そのように疑っているのは私だけでしょうか。
職人かたぎの法律のプロ
藤本尚道さん(「藤本尚道法律事務所」)
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