伝説の教師・橋本武さんの国語教育に学ぶ
白寿を過ぎて再び教壇に立った姿は「師」と呼ぶにふさわしく
昨年9月に、一人の「師」が亡くなりました。伝説の灘校教師と呼ばれた「奇跡の国語」の橋本武先生です。享年101歳。残念ながら、私の恩師ではありません。しかし、白寿を過ぎて再び教壇に立つ写真を見ると、その仙人のような風貌から「師」という言葉で表すほかないように思います。ゆとり教育の見直しが文科省の方針となったものの、理数や英語に重点が置かれ「根本の国語は置き去り?」と思っていた矢先のことでした。
私の生徒は女子ばかりですが、最近は女の子でも国語嫌い、苦手の子が多いと感じています。言葉を知らない、漢字を知らない、国語に限らず、理数においても文章の意図が正確に読み取れない生徒は珍しくないように思います。「本を読むより、ドラマを見たり、アニメ、ゲームをしたりする方が好き」と言うのですから、無理のないことかもしれません。
記述問題や小論文で一文字も書き進まず絶句する子どもが増加
相対的に国語の成績が良くても、国公立の二次試験や難関大学の記述問題・小論文に至って、一文字も書き進まず絶句するケースが増えています。そのような子どもたちは、「横道」をせずに来たのか一般知識や雑学が乏しく、「表現するネタが出てこない」「文章をオリジナルで書いたことが無い」など、日本語でうまく表現することができない状況に陥っているようです。このようなことから、国語教育は危機に瀕していると言わざるを得ません。橋本先生はずばり「国語力はすべての学問の基礎」と書き残されているのに、です。
先生の精魂傾けた自作教材に基づいて「銀の匙」を精読する授業のイメージが独り歩きしている感もありますが、実際はそれに並行して、毎月課題図書を指定して「あらすじと感想文を提出させる」「和歌を作らせる」など、ノート作り以外にも頭と手を動かす課題が満載だったのです。
自ら労を惜しまず頭と体を動かして得たものこそが「真の学び」
また、言葉や漢字や内容の暗記テストもかなりハードに課されていました。嫌がる生徒が多い暗記ですが、ディスクを入れたらソフトがインプットできるコンピューターとは違って、人間は自分の頭と体を働かせて、頭に取り入れるしか方法はありません。橋本先生の生徒たちは、驚くほど、調べて、読んで、考えて、書いて、を繰り返していたようです。そして、先生はそれらに全て目を通して、評価し、編集して印刷までしていたとか。
先生の仕事をさまざまな本で見ていて、近頃死語になりかけている言葉が浮かんできました。先生も生徒も「労を惜しまず」という表現がぴったりです。楽をして楽しいのではない、他人から与えられた楽しみでもない、自ら労を惜しまず頭と体を動かして得たものこそ、橋本先生の「学びと遊び」として、多くの生徒の心に一生残っているのではないでしょうか。
女子の受験指導のプロ
櫻井久仁子さん(ATHENE(アテネ)Personal Lesson For Girls.)