神戸市教委、体罰教員名を公開 懸念点は?
カビにも例えられる「体罰」。改善のために氏名公表は必要
教職員による体罰事件が問題になって久しいですが、法務省の平成25年の調査を見ると、前年度比139.7%増加の887件の事件が報告されています。この現状は無視できず、その対応策の一つとして体罰教師の氏名を公表すべきだという意見も多く見られます。実は氏名公表については2012年、兵庫県教委に対し教職員名の公開を命じた大阪高裁判決が確定しています。その流れを受けて神戸市教育委員会は、情報公開請求があれば、学級担任が加害者の場合などを除き、体罰をした教職員名を公開することを決めました。
体罰に限らず、暴力というものの発生条件は、カビに例えられることがあります。つまり、生暖かくて、日当たりと通気性の悪い条件の下で発生しやすい、と言うことです。この陰湿な状況を改善するには、やはり通気性を良くして、光を当て、生暖かい環境を駆逐する必要があり、氏名公表という厳しい動きは、その意味で必要なことだと言えるでしょう。
単に教師個人に対する責任追及に終わると生徒に悪影響も
ただし、その適用には教育的な懸念がいくつか挙げられます。一つは具体的な事実関係が公開されることによって、被害生徒のプライバシーが守られなくなるということです。今回、神戸市が、加害者が「担任」や「部活動の顧問」等で被害生徒の特定につながる場合は非公開とした理由には、このためです。この点については、個々に応じて考慮する必要があるでしょう。
二つ目は、氏名が公開されることで、体罰事件がその教師個人の資質や責任に帰結してしまはないかという懸念です。体罰は、それを行った教師の個人的な指導力や資質の問題であるとともに、それを黙認する教師間の雰囲気や学校風土に影響されているという側面も見逃せません。しかし、個人名を公開されると、教師個人が責任を追及されているという印象を与えかねず、荒れる生徒の側からすると、指導する側の弱点を握ったような感覚になる恐れがあります。実際、シャドーボクシングのそぶりで「かかってこいや!」と挑発したり、胸ぐらをつかまれた教師が生徒の身体を抑えただけで「体罰や!みんな見たか!俺もやってええんや!」と殴りかかってきた、という事件もありました。
氏名公表が単に教師個人に対する責任追及に終わることなく、学校全体として、「いかなる場面においても暴力は許さない」という決意を明示し、自ら襟を正すという姿勢が大切でしょう。
体罰が「情熱の現れ」という考え方は間違い。スウェーデンで実証
一方で、氏名を公表された教師に対し、それを「情熱の現れ」として擁護し、「厳しい先生がいなくなると、ますます学校が荒れてこないか」という懸念も根強く聞こえてきます。しかし、体罰が「情熱の現れ」であるという考え方は、間違いであることは言うまでもありません。体罰などしなくても、情熱があり、立派な指導の成果を上げている先生は、大勢います。
また、過去に「体罰禁止法」が施行されたスウェーデンにおいて、「子どもたちが甘やかされ、反社会的行動が増えるのではないか」という後者の懸念は杞憂に終わった、という報告がなされています。いくつかの政策が上手く機能した側面もありますが、心配とは逆に、若者の飲酒率・薬物乱用・自殺などの否定的な影響は減少傾向を示したのです。社会全体が体罰禁止や暴力反対に対する理解と支持を深め、風通しの良い、光の当たる環境を作り出すことで、カビの生息条件を払しょくできるということを証明した事実です。
家庭・学校・社会を問わず、どのような関係においても体罰や暴力は許されないと言う姿勢をきちんと明示し、氏名公表などを含めた社会的な通気性を高め、真剣に自浄努力に取り組む教師の背中を、子どもたちは見つめているのではないでしょうか。