「物語」は明日を生きる力を産み出す
親は子供に自分がかなえられなかった夢を託すものだ。自分がダメな人間だと思えば思うほど、その反対のイメージを自分にも作り上げ、そしてそれを子供に求める。それが子供にとって人生の励みや目標になることもあるだろう。その結果子供は親の夢をかなえるヒーローになる。しかし同時に求められ期待された子どもがその期待に応えられない時、子どもは自分を責める。
親はかなえられなかった夢を満たしてくれる子供ならうれしいが、再びその夢がかなえられないという哀しみをもたらす子供に対して、まるで自分を傷つける相手であるかのように、悲しみや恨みに染まった怒りをぶつけてくる。「お前まで私を悲しませるのか。お前まで私のことを馬鹿にするのか」というような。
Bはとても優秀で素直な子だった。母の期待をかなえるために一生懸命学業には励み、立派な成績を上げてきた。母はそれで満足だった。Bはとても自慢の子供だった。
しかしAはBと違い、母の夢や希望を叶える子供ではなかった。それはそれで仕方がないことだ。しかし子どもの側にすれば親の夢をかなえるために生まれてきたのではないのだから、一方的な夢や期待や復活の道具にされて、それが任にかなわないからと言ってすげさみ、馬鹿にするのはおかしい。
親は自分がやっていることの残酷さに気が付いていない。
一方的にすげさまれ、何が何だかわからないけれど「お前はダメだ」と言われた子供にすれば、こんなに傷つくことはない。
全く自分には責任がないのに、非難されるのだから。
私は悪くない。
私は非難される理由がない。
私は自己卑下する理由などない。
だから周囲からほめられなくてもよい。
親の問題を私が背負う必要などさらさらないのだ。
Aは自分にそう言い聞かせることで、少し自分を取り戻せた気がした。