不登校は3歩進んで2歩下がる
さて、今回は不登校の中期、苦悶期の子どもの心理についてです。
自分でも何だかわからないけれどとにかく身体が動かない不登校の初期に比べ、中期に入ると子どもの中にも色々な気持ちが自覚されてきます。
例えば、ある意味ホッとするような安堵感や開放感。
それまで両親からも「何で学校いけないの?」と聞かれ答えられない自分への歯がゆさや困惑から居場所のなかった段階から、ある程度あきらめにも似た安堵感が湧いてきます。
しかしそれは逆に言うと仲間から離れてしまった孤立感や、自らの弱さを受け入れざるを得ない敗北感、さらに親に辛い思いをさせているという罪悪感など、さまざまな思いが胸に去来します。
特に自立を迎えた段階の思春期に入ると、そういう気持ちを素直に示すわけにもいかず、心配する親の態度や叱責に心ならずも反抗や無視を示すしかなくなるのです。
それが親や周囲には理解されず、更なる悪循環へと陥り、周囲とのコミュニケーションを絶った状態へと引きこもる危険もあります。昔と比べ最近はそういうこもりがちな子どもたちにとってある意味救いとなるネット環境が整っているため、オンラインゲームやチャットなどにはまってしまう子供も多くなりますね。
全く会話がないよりはネットでの人間関係だけでもある方が良いという考え方もありますが、逆にネットの世界の居心地の良さに現実の世界へと戻りにくくなっている場合も良く見聞きします。
それだけに、以前よりも葛藤が少ない不登校のtypeが増えているような気がしています。
不登校も時代によってさまざまな影響を受けているということなのでしょう。
しかしどのような場合も、最初に述べた色々な気持ちが彼らの心の中にあるということを前提にかれらとの関係を気づく努力が必要だということはまちがいないでしょう。