店が用意した示談書にサインする危険性|宥恕条項・清算条項の落とし穴
この記事は、2026年10月時点の民法・刑法・健康保険法などの規定をもとに、風俗店やメンズエステなどで働く方が、接客中に客からケガを負わされた場面を整理したものです。実際の結論は個別の事情によって変わることがあります。
接客中に客から強くつかまれた、押し倒された、叩かれたといった形でケガを負ったとき、「こういう仕事だから仕方がない」と考えて治療費を自分で負担している方は少なくありません。しかし、仕事の場で起きたことであっても、客が同意の範囲を超えて身体を傷つけた場合には、客に対して治療費などを求められる場合があります。
この記事では、請求の根拠、請求できるお金の内訳、ケガの直後にしておきたいこと、相手が分からないときの進め方を順に説明します。
客に治療費を請求できる法的な根拠
民法は、故意または過失によって他人の権利を侵害した者に、生じた損害を賠償する責任を負わせています(民法709条)。身体を傷つけられたことによる精神的な苦痛も、賠償の対象に含まれます(同法710条)。
この規定は、働いている場所や職種によって区別されていません。風俗店での接客中に起きたケガであっても、客の行為によって生じたものであれば、治療費などを客に求める根拠になり得ます。店のルールで禁止されている行為かどうかは、請求ができるかどうかを直接決めるものではなく、客の行為が違法な権利侵害に当たるかどうかが中心になります。
「同意のうえのプレイだった」と言われる場合
客の側からは、「プレイの一部だった」「本人も了承していた」という反論が出ることがあります。SMクラブなど、一定の身体的な刺激がサービス内容に含まれる業態では、この点が争われやすくなります。
ただ、同意があったとしても、それは事前に決めた内容や通常想定される範囲に限られます。範囲を超えて強い力を加えた、やめてほしいと伝えた後も続けた、といった事情があれば、同意の範囲外の行為として評価されることがあります。どこまでの内容を事前に合意していたか、途中で何を伝えたかを思い出せる範囲で書き留めておくことが、後の話し合いで役に立ちます。
請求できるお金の内訳
「治療費」と一言でいっても、実際に求められる項目はいくつかに分かれます。主なものは次のとおりです。
| 項目 | 内容 | 裏付けになるもの |
|---|---|---|
| 治療費 | 診察・検査・薬・入院などにかかった費用 | 領収書、診療明細書 |
| 通院交通費 | 通院のための電車・バス代など(症状によりタクシー代) | 経路のメモ、領収書 |
| 休業損害 | ケガのために出勤できなかった期間の収入の減少 | 店からの支払記録、振込履歴、確定申告書など |
| 慰謝料 | ケガによる痛みや精神的な苦痛 | 診断書、通院の期間と回数 |
| 物の損害 | 壊された衣服・スマートフォン・アクセサリーなど | 写真、購入時の記録 |
後遺症が残った場合には、その分の慰謝料や将来の収入の減少が問題になることもあります。治療が終わる前に金額を確定させてしまうと、後から生じた費用を求めにくくなるため、示談の時期には注意が必要です。
休業損害は、収入の示し方が分かれ目になる
休業損害は、風俗の仕事による収入であっても、実際に得ていた収入が減ったのであれば対象になり得ます。弁護士ドットコムにも、風俗の仕事をしていたことを理由に、相手から休業損害の支払いを渋られたという趣旨の相談が寄せられており、この点はもめやすい部分の一つです。
日払いで給与明細がない場合でも、店からの支払いの記録、口座への入金履歴、確定申告の控え、出勤のシフト表などを組み合わせて、ケガの前にどの程度の収入があったかを示すことが考えられます。
ケガをした直後にしておきたいこと
請求の場面では、ケガが客の行為によって生じたことを示せるかどうかが重要になります。時間が経つほど裏付けが難しくなるため、できる範囲で次のことを進めておくと安心です。
- 客から離れて安全な場所へ移り、店のスタッフに状況を伝えます。
- できるだけ早く医療機関を受診し、いつ・どのようにケガをしたかを医師に伝えます。
- 必要に応じて診断書を出してもらいます。
- ケガの部位を日付が分かる形で撮影し、時間をおいて変化も記録します。
- 客とのやり取り、店への報告内容、客の利用時間や源氏名で呼ばれていた名前などをメモに残します。
診断書に書かれる治療期間の見方については、「全治○週間」と言われた|診断書と傷害の重さの評価で詳しく説明しています。
なお、他人の行為によるケガでも健康保険を使って受診することはできます。その場合は、加入している保険者に「第三者行為による傷病届」を提出するのが原則です。保険者が立て替えた分を後で客に求める仕組みになっているため、受診の際に経緯を伝えておくと手続が進めやすくなります。
誰に、どうやって請求するか
相手の名前や連絡先が分からないとき
客の本名や連絡先を知らないことは珍しくありません。店は予約時の電話番号や会員情報を持っていることがありますが、個人情報の扱いを理由に、すぐには教えてもらえないこともあります。
警察に被害を申告し、捜査が進んだ場合には、客の側に弁護人が付き、その弁護人から示談の申し入れが届くという形で相手と話し合いが始まることもあります。弁護士に依頼した場合には、弁護士会を通じた照会などで相手を確かめる方法を検討できることもあります。
店が代わりに交渉すると言ってきたとき
店が客とのやり取りを引き受けると申し出ることがあります。ただ、店が受けた損害(営業への影響など)と、働く方本人が受けた損害(治療費や慰謝料など)は別のものです。店が客と話をまとめても、それで本人の請求まで当然に片付くわけではありません。
また、報酬を得る目的で他人の法律上の請求を代わりに交渉することには、弁護士法との関係で問題が生じ得ます。この点は店がキャストに代わって示談交渉をしてよいのか|非弁行為という視点で整理しています。店から受け取る金額の内訳や、自分の分がどのように扱われているかは確かめておくのが望ましいでしょう。
客と直接やり取りするのを避けたい理由
暴力をふるった相手と直接連絡を取ると、再び呼び出されたり、私的な連絡先や住所を知られたりするおそれがあります。請求の連絡は、店や弁護士を通すなど、自分の連絡先を相手に渡さない形で進める方が安全なことが多いと考えられます。
刑事手続と並行して考えること
客の行為は、ケガがなければ暴行罪(刑法208条)、ケガをした場合は傷害罪(同法204条)に当たり得ます。性的な行為に伴ってケガを負った場合には、不同意わいせつ致傷罪や不同意性交等致傷罪(同法181条)が問題になることもあります。
警察への被害届の提出と、客への治療費の請求は、どちらか一方を選ばなければならないものではありません。客の側から示談の申し入れがあった場合、示談書に「処罰を望まない」という一文を入れるかどうかは、被害を受けた方が決めることです。被害届と告訴の違いは被害届と告訴の違い|ストーカー・脅迫でどちらを選ぶ、警察で相談が進まない場合については被害届を受理してもらえない|断られたときにできることをご覧ください。
傷害罪などで起訴された場合には、刑事裁判の手続を利用して損害賠償を求める「損害賠償命令制度」を使える場合があります。また、一定以上の重いケガで、相手から十分な賠償を受けられないときには、国の犯罪被害給付制度の対象になることがあります。
示談で取り決めておく内容
客との間で話し合いがまとまる場合には、口約束で終わらせず、書面に残しておくことが大切です。主に次の点を確認します。
- 支払う金額と、その内訳。
- 支払いの期限と方法。
- 後遺症が出た場合の扱いを含めた清算の範囲。
- 今後の接触禁止と、違反した場合の取り決め。
- 互いの情報を口外しない旨の約束。
- 処罰についての意思を書くかどうか。
よくあるご質問
店から「客とのトラブルは店に任せるように」と言われています。自分で請求してはいけないのでしょうか
店のルールがあっても、ケガを負った本人が自分の損害を客に求める権利そのものがなくなるわけではありません。ただ、店との契約関係や今後の働き方にも関わるため、店の対応方針を確かめたうえで進め方を考えるとよいでしょう。
業務委託で働いています。労災は使えますか
店と雇用契約を結んでいる場合は、業務中のケガとして労災保険の対象になり得ます。業務委託の形で働いている場合は、通常の労災の対象とならないことが多く、特別加入の制度に入っているかどうかなどで扱いが変わります。いずれの場合も、客への請求とは別に検討することになります。
しばらく経ってからでも請求できますか
身体を傷つけられたことによる損害賠償の請求権は、損害と相手を知った時から5年、行為の時から20年で時効にかかるとされています(民法724条、724条の2)。期間内であれば請求の余地はありますが、時間が経つと店の防犯カメラの映像や記憶などの裏付けが失われやすくなるため、早めに動くことが望ましいといえます。
関連する解説記事
ご相談について
客から受けたケガの治療費を求めるときは、ケガとの結びつきを示す記録をそろえることと、相手と直接向き合わずに話を進める形を整えることが、進め方の土台になります。店に任せたままでよいか、警察への相談と並行して請求するかなど、迷う点があれば早めにご相談ください。
同じような状況でも、経緯や残っている記録によって取れる手段は変わります。どこから手をつければよいか判断がつかない段階でも、事実を整理するところからご一緒できます。
当事務所では、電話・メール・LINEのうちご希望の方法でご相談をお受けしています。ご都合のよい手段をお選びください。
早い段階でご相談いただくほど、選べる手立ては多く残ります。迷っている段階でも、まずはお気軽にお声がけください。


