マナーうんちく話604≪武士は食わねど高楊枝≫
「礼儀作法」という言葉を耳にすると、窮屈とか堅苦しいというイメージを持っている人も多いと思いますが、そうではありません。
人と人が互いに相手の事を思いやり、親しもうとする心であり、それを具体的に形にしたものが礼儀作法です。
そして日本の礼儀作法の基本はいつでも、どこでも、誰にでも自然に振舞うことですが、単に知識として理解しているだけでなく、日常生活において実践することが大切です。
もともと武士の馬や弓の練習法や、武士と武士の付き合いのたしなみを説いたものですが、先ずは「挨拶」と「お辞儀」について理解を深め、実践していただければと思います。
なぜなら「挨拶」の習慣は、人間関係作りの原点だからです。
●礼儀作法とお辞儀の目的
「相手を大切に思う心」は礼儀であり、日常生活を円滑に行う上で大変重要なものです。
ただ、これだけでは相手には伝わりません。
従って相手を思う心を、言葉、態度、文字などで具体的に表現することが必要になってくるわけです。
これが「作法」です。
つまり作法とは、思いやりの心を様式化したものとご理解いただければと思います。
そして礼儀作法とは礼儀と作法、つまり「心」と「形」が合体したものです。
人は多かれ少なかれ、人に認めて欲しいという気持ちを有しています。
だから相手を思いやる振る舞いとは、「私はあなたに好感を寄せています」「あなたの事を無視していませんよ」と伝えること、つまり「挨拶」するということです。
しかし横柄な態度で挨拶しても、相手に思いやりの気持ちは伝わりませんね。
皆に思いやりの心を理解していただく必要があるわけですが、日本では「お辞儀」という手法が多く用いられています。
●お辞儀の由来
お辞儀は自分にとって一番弱い部分であり、大切なものを相手に差し出すことにより、相手に対して敵意がないことや、服従の意思表示を行う行為です。
ちなみに西洋の挨拶は握手ですが、これも自分の利き腕を相手に差し出して手と手を握り合うことで、手の中にナイフやピストルを持っていないことを示す行為です。
ではなぜ日本は「お辞儀」が挨拶行為になったかというと、その歴史は非常に古く、魏志倭人伝に、「貴人に対しては跪いて頭を垂れる」と記載されているからだといわれています。
このように日本の挨拶の特徴は体を接触させない点だと思います。
相手と一定の距離を置いてお辞儀をして、その前後で言葉を交わすわけですが、そこには相手に対する礼儀やねぎらいの意味が込められています。
また丁寧な挨拶では「語先後礼」という言葉があります。
先に言葉を発して。その後でお辞儀をすることです。
●平和な国で誕生した美しい挨拶「お辞儀」のポイント
繰り返しになりますが、お辞儀は礼法の基本であり、相手を敬う気持ちを形で表現する動作です。
だからこそいつも丁寧で気持ち良い挨拶、つまり美しい挨拶が大事です。
学校では授業が始まる前に起立して、礼をして、掛け声をかけますが、ここでの「礼」はおじぎそのものですね。
ただお辞儀はすればいいものではありません。
「美しいお辞儀(礼儀正しい)」を心がけて頂きたいものです。
礼法の基本は正しい姿勢にあります。
私の小学校の頃は「起立」⇒「気お付け」⇒「礼」だったように記憶していますが、この「気お付け」で姿勢を整え、その状態でお辞儀をします。
その際腕は自然に下に伸ばすといいでしょう。
背筋はまっすぐなまま腰からまげて下さい。
背中が丸くならないよう心掛けて下さい。
お辞儀とともに自然に視線が下がります
とても合理的な流れです。
美しいお辞儀のポイントは、姿勢を整える、腰から上だけを傾ける、と認識してください。
どのくらい傾けるかは、お辞儀の目的や相手により変化させたらいいですが、軽いお辞儀は概ね15度、普通のお辞儀は30度程度です。
ちなみに「座礼」でも「立礼」でも、相手が神様の場合は深々とお辞儀をします。
これが深い挨拶です。
この他、お辞儀はしないがアイコンタクトで相手に敬意を表す方法もあります。
「行き会いのお辞儀」は、上司や目上の人と老化や道路等で出会ったときには少し手前で左側にとまり、お辞儀をして、相手が通り過ぎたら体を起こします
時と場合と場所に応じて、自然に、美しく伝えられるよう心掛けて下さい。
「礼儀正しい」とは、つまりそういうことなのです。
自分の誠意が相手に伝わり、良好な人間関係を築くポイントです。
●戦前の義務教育が取り組んだ礼儀作法教育
江戸時代には武家の間では礼法がとても重宝され、公家礼法とともに武家礼法が存在していましたが、明治維新後には武士の時代は終わりました。
明治新政府が確立されるわけですが、そこには全国各地から様々な人が集まりました。
公家や武士階級に加え、商人や農民まで様々な人の集団です。
つまり、それまで公の場での経験が無かった人も多くいたわけです。
そして、それらの人がそれぞれの役職に就き、業務を遂行するわけですが、ファッションにしても挨拶にしても、てんでバラバラです。
これでは統制が取れないので、明治新政府は礼儀作法の教育に取り組むことになります。
その教科書に採用されたのが江戸幕府の時と同じ「小笠原流礼法」です。
それが大変功を奏し、新たな時代を迎えても、互いに気づき合い、仲良く付き合いができるようになったわけです。
尋常小学校、尋常高等小学校、高等女学校などで、国語や社会や理科などと同じように、礼儀作法を教科の一つとして教えたわけですが、残念ながら戦後になって、この伝統ある「礼節教育」は姿を消し、現在に至っているというのが現状です。
私は今の日本が、昔とは比較にならないほど、モノが豊かになり、便利にはなったものの、幸せになれていない原因の一部はここにあると思っています。
今回の参院選では、多くの立候補者がいますが、礼節教育の必要性が聞こえてこないのはとても残念ですね。



