マナーうんちく話544≪薔薇で攻めるか、それとも恋文か?≫
稲刈りの前に田んぼの水を抜くこと「落とし水」といいますが、いよいよ収穫の季節です。
私の地域では収穫に感謝する「秋祭り」が始まります。
ちなみに「祭り」という言葉の語源は「祀る」で、神様に対する感謝です。
神様をお迎えし、お供え物を奉って、神を慰め様々なお願いをするわけです。
また祭りはその地に住む人のために存在しますが、日本では八百万の神といわれるように、全てに神が宿ると信じてきました。
だから日本各地で様々な形式の祭りが生まれましたが、いずれも期間限定で、特定の日に開催され、すぐに終わります。
まさにハレの行事ということです。
では日本には、いったいどれくらいの祭りがあるのでしょうか?
「マナーうんちく話」で何度も触れましたが、日本には約85000の神社と約77000のお寺があります。
ひとつの神社で春と夏と秋に一回ずつ祭りを行えば、それだけで25万件くらいになります。
寺が年に一度行えば77000で、合計は30万件を超えます。
もともと祭りは神事や祈祷だったのでしょうが、江戸時代には娯楽性が加味され、今ではほとんど娯楽性の濃い大衆文化になりました。
ただ、それでも伝統的文化や歴史の重みは中途半端ではありません。
さらに地域の風習に基づいて執り行われる祭りは、地域住民の心を一つにする素晴らしい力があり、生きる上で重要な意味を持っています。
精魂込める理由はまさにここにあると考えます。
過疎化、超高齢化、少子化、加えてデジタル化や国際化の進展に伴い、日本の祭り文化の「これから」が大変気になるところですが、和する心だけは大切にしたいものですね。
笛や太鼓が奏でられ、多くの屋台が並び、とにかくエネルギッシュな祭りが廃れても、近所の氏神様に参拝し、感謝を伝えることは可能です。
今の日本は、食料自給率はカロリーベースで38%前後を推移しています。
先進国ではワーストクラスでしょう。
そんな国が今、世界で一番贅沢なものを食べていると思います。
日本の平均的な家庭の台所では、和食も洋食も中華料理もできる、食材や調理器具や調味料があります。
でもこんな豊かな状況になったのはほんの数十年前で、戦後間もない頃は、多くの人が食べ物に困っていました。
百年前、三百年前、五百年前、千年前はなおさらです。
だから昔の人にとって、秋に収穫できる喜びはひとしおです。
節目、節目に何度も祈願し、感謝する気持ちは半端ではなかったわけです。
「食べる」は、もとは「賜る」ですが、まさに食べ物は神様から賜った本当に神聖なものだったわけで、「食べ物」は「神様からの賜りもの」です。
その神聖なものを口に運ぶために「箸」という小道具が生まれたのが、日本の箸食文化です。
和食の精神文化は実に奥が深いわけです。
私は何十年も和食のテーブルマナーに関わっていますが、常に食事のときには「食べ物」に真摯に向き合ってくださいとお伝えします。
ここが歪めば、生き方にも影響が出るからです。
食欲の秋は、多くの食べ物に恵まれ、夏に疲れた体を癒すときでもありますが、食べる喜びとともに、食べ物への感謝を忘れないようにしたいものです。