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8月15日、戦没者を追悼し、平和を願う「終戦の日」には、政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われ、60秒の《黙祷》がおこなわれます。
ちなみに《追悼》とは、誰かが亡くなった時にその死を悲しむ気持ちを表明することですが、故人の生前を思い出して偲ぶ意味もあります。
また「慰霊」は身近な人というよりは、災害や戦争などで亡くなった人に向けた言葉で、この世を去った人の霊を慰める、つまり故人の死後の幸福を祈ることです。
日本は世界屈指の平和な国ですが飛鳥時代、奈良時代、安土桃山時代、鎌倉時代、戦国時代、江戸時代にも多くの内戦を経験しており、数えきれないくらいの人が戦いで亡くなっています。
さらに明治時代になると、軍隊を保有し、日清・日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦等、世界を相手に戦いましたが、310万人以上の人が亡くなったといわれています。
そのうち約230万人の人は軍人で「名誉の戦士」という言葉がありますが、多くの人は餓死したとも伝えられています。
大変悲しい話です。
そして今、これをどうとらえるかですね。
兵士が戦闘により死ぬことを「戦死」といいます。
殉職の一種です。
また戦死者を「英霊」とも呼びます。
ただし通常は、民間人の死は含まれません。
明治維新後新政府は様々な政策を展開しますが、明治6年に国民皆兵を目的に「徴兵令」を出し、国内の17歳から40歳の男子を名簿に記載し、20歳になると徴兵検査を行い、合格者には3年の兵役を課せるわけです。
そして距離を離れて応酬された兵士には厳しい訓練が待ち受けるわけですが、いざ戦争となると現地に出向かなければなりません。
当時召集令状の葉書の値段は一銭5厘といわれましたが、まさに1銭5厘の「赤紙」一枚で、国に命を差し出さなければなりません。
戦況が悪化すれば家族との連絡も途絶えるでしょう。
不安や心配は尽きません。
そして不幸にも戦士ということになれば遺族はたまりません。
しかし無言の帰宅は「名誉の戦士」と讃えられ、その家は「誉の家」世間から讃えられました。
国のために戦死したわけですから、市町村葬が学校の行動や公民館などで執り行われ、市町村長が葬儀委員長を務めます。
さらに国から勲章が贈られたり、階級特進がなされ敬意が表明されます。
遺族は近所の人からは「おめでとうございます」の挨拶を受け、「ありがとうございます」とお礼の言葉で答えます。
何がおめでたいのか?
なにがありがたいのか?
理不尽極まりないですね。
日本では明治から昭和にかけ、国家神道により、国が靖国神社や護国神社を創建しました。
英霊に黙とうをささげるとともに、こんな時こそ、戦争の悲惨さや理不尽さについて思い起こしたいものですね。
なにより、日本人の大半の人は核禁止条約を支持していると思います。
民間団体の活動には本当に頭が下がります。
美辞麗句を並べるだけの挨拶より行動だと思います。