マナーうんちく話520≪電車内でお化粧するの、どう思う?≫
私が住んでいる田舎には、洒落たレストランもカフェも大きな病院も交通の便もなく何かと不自由ですが、反面都会では味わえない楽しみが多々あります。
春には鶯が、夏には蝉が、秋には鈴虫や松虫が庭先で美しい鳴き声を奏でてくれるのもその一つです。
またこの時期は蛍が飛び交う姿を目の当たりで見ることができます。
ちなみに日本には一年を24に分けた二十四節気と、それを三つに分類した七十二侯がありますが、暦の上では「腐草為蛍(ふそうほたるとなる)」の時期です。
現代教育を受けた人には理解しがたいかもしれませんが、昔の人は草が腐敗して蛍になると考えたのでしょうか・・・・そういえば昭和初期の文部省唱歌「蛍」の歌詞も、蛍の宿は川端楊になっています。
ところで「蛍二十日に蝉三日」といいますが、儚さの象徴の意味で使用されます。
夜空を幻想的な光を放ちながら飛ぶ蛍の地上での寿命は約二週間で、夏中鳴き続けると思われがちな蝉の寿命は三日から五日くらいだといわれています。
日本人の感性は儚いから美しいと感じるのでしょうか?蛍をはじめ桜、花火、月下美人、カゲロウ、露などは本当に儚いものですが、美しいですね。
蛍も蝉もカゲロウも地上に出てわずかな命とは知る由もなく、ただ懸命に生きているわけで、余計に美しく感じるのかもしれません。
この度の新型コロナのせいで、今まで努力してきたことが水泡に帰し、「人生こんなはずでは」と思っている人も多いと思います。
儚く消えやすい水の泡は泡沫(うたかた)と表現されますが、長年コツコツ積み上げたことがコロナのせいで泡となって消えるのは寂しい限りです。
先が見えず、何もかも不確かで、生きる気力を失いそうになりがちですが、何時までも儚さを嘆いてばかりいられません。
ここらで気分を切り替えて、コロナ禍に適合した自分流の生き方を模索しなければいけませんね。
神様は戦後の荒廃から立ち上がり、一生懸命働き、平和な国づくりに努め、経済を復興させ、さらに栄養状態や衛生環境を向上させ、国民皆保険制度、国民皆介護保険制度を世界に先駆け充実させ、医療技術を高めた日本人に、世界一の長寿というご褒美を授けて下さいました。
しかし神様はいつまで個々人の寿命があるかは教えてくれませんでした。
だから余計儚く感じるかもしれませんが、儚いからこそ限りある命を少しずつ充実させる必要を感じます。
今の境遇をあえて認め、その中でいかに楽しく、しなやかに過ごしていくか?
ノーベル文学賞を受賞したメーテル・リンクの「青い鳥」は、幸せは身近なところに存在することを教えてくれました。また世界的文豪のゲーテは「素晴らしい一日は遠くにあるのではなく、今日のこと」と述べています。
人の命の儚さを感じることは多々あります。
だからこそ一瞬、一瞬を一生懸命生きなければと思うわけです。
ちなみに私自身はアナログの世界で長年生きてきた人間で、これから始まるオンラインでの生活にはなじめそうではありませんが、自分に正直に、今ここにある幸せに気づき、それを感じる努力は惜しまないようにしたいと思っています。
新しい生活様式に逆らうようになるかもしれませんが、アナログならではの良さを存分に生かし、明るく、しなやかに生きていければ幸いです。
幼い頃、竹箒をもって蛍狩りに行った際「ほう ほう ほたる来い、あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ・・」というわらべ歌をうたっていましたが、今から思えば、その歌詞には何の根拠もなく、なんだか蛍をだましていたような気がします。
短命ながら必死に生きている蛍に失礼なことをしました・・・。