マナーうんちく話500≪継続は力なり、500回ありがとう!≫
マナーは時と場合により発揮の仕方は異なります。
不易流行的側面もあります。
だから様々な経験を経て、苦労して身に付けるものだと考えます。
例えば次のような例が考えられます。
世の中には安全な飲み物や食べ物に不自由している人が10億人前後いるといわれていますが、一週間も何も口にしていない人が、やっと食べ物にありつけて、目の前にある食べ物を人目もはばからずがつがつ食べてもマナー違反にはならないでしょう。
このような状況下では、誰も違和感を覚えません。
しかしお金持ちの人で何不自由なく贅沢三昧で暮らして人が、食事をするときに、姿勢が悪く、しかもフォーク・ナイフや箸を上手に扱えなかったら不快感を覚えます。
マナーはそれを知らないで人前でうろたえるか、理解していても周囲の人に合わせて、あえてそれにこだわらない振る舞いを堂々と行うとでは、雲泥の差があります。
知っていても、それにこだわらず周囲の人に合わせる人の胸襟には、常に品格や度量の大きさや風格が漂います。
逆にマナーを理解しないで、上手に発揮できなければ、気持も萎縮し、不利な立場に陥り、不名誉な事態にもなりかねません。
往々にして、マナーを知らない人に対して、周囲の人は、なかなかそれを指摘しにくい点もあります。
親や教師の立場ならいいでしょうが、ビジネスシーンなんかでは特にそうです。
一緒に初対面の人と食事をする際、箸使いの悪さを指摘する人はまずいないでしょう。不快感を覚えても口には出せません。
しかし陰口をたたかれ、時には人格まで否定されるように他人に伝わることはよくあります。
マナーには「なぜそうなるのか?」という合理的な理由が存在します。
それを正しく理解しておけば、たとえ実行知識にたけていなくても気持ちの上ではゆとりが生じます。
このゆとりが他者に対して「思いやりの心」を発揮させるわけです。
情報機器を上手に駆使させながら、マナーに関する様々な雑学を身に付けるのもお勧めです。
加えて様々な人と交流されることも大賛成です。
心地よい甘い経験のみならず、苦いことも、辛いことも様々な経験を積むことで、知識として身に付けたマナーが、言葉や態度や文字で上手に発揮できるようになります。
つまり「心」と「形」が整うわけですね。
ではどちらが先かといえば難しいところですが、個人的には先ず「心」だと思います。心があれば形は容易に身につくのではと考えています。