マナーうんちく話604≪武士は食わねど高楊枝≫
前回赤穂浪士に触れましたが、それに匹敵するくらいミリオンセラーになったのが水戸黄門ではないでしょうか。
水戸黄門は水戸藩主である徳川光圀の別称で、隠居した光圀が全国を漫遊して世直しをしたという創作物語ですが、漫画、小説、映画、テレビなどで日本人には広く親しまれています。
日本は世界屈指の「礼節の国」といわれますが、恐らく日本人は昔から正義を重んじ礼節を大切にし、それを代々次世代に伝えてきたからだと思います。
だから善良な人や善良な行いを勧め、悪人や悪い行いを戒める勧善懲悪を主題とした物語が好まれたわけですね。
なんだかんだと言っても最後には善玉が栄え、悪玉が滅びる物語は気分が爽快になります。赤穂浪士や水戸黄門漫遊記はそこが上手に描かれているから、日本人の心を長い間ぐっと掴かんだのではないでしょうか・・・。
礼節の部分もあり、同時に道徳的側面もあります。
それが時代の流れとともに、核家族がすっかり定着し、代々親から子に伝えられた道徳や行儀作法のようなものが息絶えてしまったわけですね。
道徳は学校で学べるけど、礼儀作法は学校では教えてくれません。
戦前の女学校では礼儀作法をきちんと教えることがその学校のステータスであったようですが、戦後の教育ではなくなりました。
家でも教えない、学校でも習わないとなれば、自ら書物で学ぶほか手段はありません。
そんな時代を反映してか、書店には所狭しと、ビジネスや冠婚葬祭等に関するマナー教本が並ぶようになりました。
これらは、いかにも即座に現場で役立ように書かれていますが、冷静に見てみると、すべて理解するには至難の業のように思います。
特に敬語の使い方や接客の仕方、さらに弔事・慶事の振る舞い、食事のマナーなどは一朝一夕にはいかないでしょう。
本来ならこれらは、小さい時に家庭で身に付け、身についた時点で社会に巣立っていくべきものですが、それを数冊の書物で、一夜漬けで理解するのは至難の業でしょう。
しかもその多くが「形」を重んじ、「心」ここにあらずという教本が多いような気がしてなりません。
ただ現在は高度に発達した情報社会ですから、親に教わる情報に比べると比較にならないくらいの情報が瞬時に入手できる時代です。
何もかも便利になったことだけは確かで、やり方次第では上達する可能性は大きいでしょう。
しかし礼儀作法の根幹をなす「思いやりの心」「感謝の心」「尊敬の心」は文字情報のみで身につくものではありません。
加えてそれらを具体的に言葉や態度や表情、また文章等で伝えるスキルは五感をフル活動しなければいけません。
つまり長い時間をかけ、様々な経験を通じて身に付けるものだと思います。
次回に続きます。