マナーうんちく話941《「しきたり」は本当に必要なの?》

平松幹夫

平松幹夫

テーマ:日常生活におけるマナー

世の中がすっかり豊かで便利になってきました。
それにつれ、「自由」「個性」「自分らしさ」と言うキーワードが全盛を極めるようになってきた感があります。

しかしこんな時代になっても、日常生活の中には何百年も何千年も前からの「しきたり」が至る所に残っています。

いい面も有ればそうでもない面もあります。
特に、自分らしく自由奔放に生きたいと願っている人には、窮屈な思いがあるかもしれませんね。

しかし、しきたりがあるからこそ、それに従って行動すれば軋轢もなくスムーズにいくことも多々あります。

例えばビジネス文章などは、判で押したように形にはまっています。
慶事・弔事における黒い服に白いネクタイと黒いネクタイ、祝儀袋・不祝儀袋もしかりです。

無難にこなすにはありがたいと思いますが、味けない気もします。

ところで、これらのしきたりは時と場合により「慣習」と表現されますが、なぜしきたりのことを慣習と言うのでしょうか?

言葉を分解してみると良く解ります。
「しきたり」は、「し」と「きたり」に分類されます。

「し」は「する」の連用形で、「きたり」は「来る」の過去形です。
漢字では「仕来たり」と書きますが、平たく言えば、長年に渡り、皆がしてきたことを意味します。

つまり、前例や習わしの意味になるので慣習となるわけです。

では、何のために長年してきたかと言えば、ひとえに皆で仲良く暮らしていこうと言うことです。

起源は田植えにあると言われています。
「生きること=食べること」です。

農耕文化で栄えた日本は、米を生きるすべにするわけで、米作りは生きるために必要不可欠です。

しかし米は田んぼと水の管理が必要で、一人では無理です。
従ってみんなで、ルールの様なモノを決めて、仲良く共同作業しなくてはなりません。

例えば、一週間のうち最初の6日は朝から晩まで働き、残りの一日はみんな揃って休養をとることや、田植えや収穫日等も統一すること等です。

これらは、みんなが歩調を合わさなければいけません。
これがしきたりの起源だと言われ、よりよく生きるための生活の知恵です。

だから長年風雪に耐え、現在まで脈々と続いているわけです。

時代にそぐわない物もあるかもしれませんが、本来の意味や意義を正しく理解すれば、私はないがしろにするものは殆ど無いと思っています。

ただ、残念なことは、折角素晴らしいしきたりがあっても、それが正しく伝わっていないことです。

加えて、営利目的のために新たなしきたりめいた物が生じ、従来の日本古来のしきたりの影が薄くなっていることです。

特に冠婚葬祭のしきたりが廃れれば、家族や地域の絆は希薄化します。
無縁社会になり孤独死が生まれ、従来にはなかった深刻な問題が生じてきます。

例えば、「仲人」「結納」のしきたりが失せたから、離婚は大幅に増加しました。
それなりの意義や意味を再認識する必要があります。

国際化の進展と共に不必要に西洋かぶれする前に、古来より続くしきたりの意味や意義を再度見直してみることが先決だと思うわけです。

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平松幹夫
専門家

平松幹夫(マナー講師)

人づくり・まちづくり・未来づくりプロジェクト ハッピーライフ創造塾

「マルチマナー講師」と「生きがいづくりのプロ」という二本柱の講演で大活躍。「心の豊かさ」を理念に、実践に即応した講演・講座・コラムを通じ、感動・感激・喜びを提供。豊かでハッピーな人生に好転させます。

平松幹夫プロは山陽新聞社が厳正なる審査をした登録専門家です

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