マナーうんちく話499≪習慣は第二の天性なり≫
春になると、花粉の飛散が気になる人も多いと思いますが、加えて、春は空気中のごく小さい塵や埃が増加し、遠くの山々に靄(もや)がかかって、ぼんやりと霞んで見える事が多くなります。
これを「春霞(はるかすみ)」と言います。
大変美しい言葉ですが、天気予報では「霞」という言葉はあまり耳にすることはありませんね。
しかし、和歌や俳句の世界では秋の「霧」とともに、春の「霞」は沢山登場します。やはり、春は霞がお似合いですね。
春の野に 霞みたなびき うら悲し この夕影に 鶯鳴くも(大伴家持)
夕暮れが近づいている春の野。霞が棚引き、空や野山が霞む春の盛りなのに、なんとなく物悲しい。まだ明るさが残っている夕暮れの中で鶯が鳴いているなあ・・・。
春の音連れを告げる鶯が鳴くと、浮き浮きワクワクするものですが、大伴家持には鶯の声が届かないのでしょうか?
でも、春はしなければいけないことが沢山ありますね。
《蒔かぬ種は生えぬ》と言う言葉があります。
ちなみに、英語圏では《収穫は種をまいた後に来る》といわれています。
種をまかないと植物の芽が出ないように、「何の努力もしないで善い結果を出そうとしても難しい」と言う意味ですね。
また、「何かを得ようと欲するならば、色々とそれなりの努力が必要だ」と言う意味も込められています。
当然と言えば当然なことですが・・・。
でも、解っていても、なかなか実行できないのが人間なのかもしれませんね。
「棚から牡丹餅」とか「果報は寝て待て」、さらには「鴨がネギを背負ってやってくる」という諺もあります。
確かに畑仕事をしていると、このような幸運に恵まれることも稀にあります。
例えば、昨年実ったゴーヤなどの種がいつのまにか地に埋もれており、温かくなるとそれが発芽したりします。トマトやカボチャでもよく見られる現象ですが、その前にはキチンと種をまいております。
往往にして、種をまかなくても自然に生えて来るのは雑草です。
つまり、種をまかなくても生えて来るのは、「有り難くないもの」だと言うことです。
春になったら、何かを始めてみませんか?
収穫期を迎え、豊作になった事を頭に描いて始めるのもお勧めです。
成功した人は常に輝いて見えますが、それまでには目には見えませんが、長い道のりがあるはずです。
表面ばかり見ないで、どんな種をまき、どのように育てたのかを知ることが大切だと考えます。
種を蒔いたら自然に発芽する作物も有れば、蒔いてから色々と手入れが必要な作物もあります。
また、手を掛け過ぎてもよくない作物もあります。
《苦は楽の種》
《楽は苦の種》といわれます。
今の苦労は未来の楽に繋がります。
しかし、楽ばかりでは将来は苦労すると言う意味です。
いずれにせよ、種を蒔くことが先決ですね。