マナーうんちく話604≪武士は食わねど高楊枝≫
師走の声を聞くようになると、木々の葉も枯れ葉となり寂しくなりますね。
そんな森でひときわ目につくのが赤く熟した柿ですが、殆どが渋ガキです。
以前このコラムでも取り上げましたが、日本人は昔から柿には非常に縁が深く、中でも渋ガキには「干しがき」という食文化があります。
11月10日の山陽新聞の朝刊に干しがきが紹介されていましたが、地域を代表する新聞の一面に掲載される位ですから、まさに晩秋から初冬にかけての日本の風物詩ですね。
干しがきは、砂糖が大変貴重品だった昔、干す事により渋みを砂糖以上の甘味に変え、しかも栄養価を高める、先人の知恵が凝縮された日本の食文化だと言えますが、先人の素晴らしさはこれだけではありません。
「残し柿」と言う言葉をご存知でしょうか?
木になっている柿を人間がすべて取ってしまうのではなく、少し残しておくわけです。何故でしょう。
自然の恵みを与えて頂いた感謝の気持ちと、これから厳しい冬を迎える動物や鳥たちのために、思いやりの心を発揮するわけです。
今とは比較にならないくらい物質的には乏しかった人たちの、何とも言えないおおらかな心に頭が下がる思いですね。
物質的豊かさを不必要に追求する事無く、周りと常に共生しながら、心の豊かさを求めた先人の生き方には、食べ物のブランド化に振りまわされている現代の日本人が、見習うべき点が多々あると考えます。
「足るを知る者は富む」という有名な言葉があります。
古代中国の哲学者である老子の、「足るを知る者は富み、強めて行う者は志あり」からきた言葉です。満足する事を理解している人は、例え貧乏でも、心が豊かで幸せであり、反対に、満足する事が出来ない人は、裕福であっても心は貧しく、幸せにはなれないと言う意味です。
さらに、古代ギリシャの哲学者であるアリストテレスは、「幸福はみずから足れりとする人のものである」、つまり「幸福を決める要素は満足である」と言っています。
食べることもしかりです。
麦や稗や粟しか食べられなかった昔の人は、白い米のご飯が食べられるようになれば充分で、不必要にコメのブランドにこだわる事をしません。
米が食べられるようになった時点で満足するわけですね。
食料自給率が39%しかない日本は、今や世界一の「美食の国」であり、「飽食の国」で、世界一贅沢な物を食べています。
そして、世界一食品廃棄物、つまり残飯を放出しています。
しかし、それでも満足する事無く、限りない贅沢を追い求めています。
恋愛や結婚もしかりです。
つい一世紀前までは「男女7歳にして席を同じうせず」で、若い男女がオープンにお茶を飲んだり、手を繋いで歩くことはあり得ないことでした。
それでも、多くの人はそこそこで満足し、殆どの人が結婚し平和な家庭を築き、子どもも平均4から5人産んで、国に活気が溢れていました。
何もかも豊かで自由で、加えてコミュニケーションツールも比較にならないほど豊富な今は、若者の男女で恋人がいない人が共に50%を超え、晩婚化、晩産化、生涯未婚化が益々進展し、少子化に歯止めが効かなくなり、未来に暗雲が立ち込めています。
確かに、「足るを知る者は富む」と言う言葉は、現状に妥協し、かつ消極的で、過酷なビジネス戦線で活躍している人にはネガティブに思えるかもしれません。
しかし、時と場合においては、欲を捨てることも必要です。
欲を捨てる事が出来ないのは「見栄」があるからだと思いますが、それが時には良くない方向になびきます。
また、どの時点で満足するか否かは、自分で決めるしかありません。
いずれにせよ、不必要に他者と比較するのではなく、自分自身の尺度を持ち、満足して感謝できる人はとても幸せな人ですが、いつまでたっても満足できず、感謝することもできない人は、幸せには縁遠いかもしれませんね。