マナーうんちく話604≪武士は食わねど高楊枝≫
以前、武士や武士の妻にとって礼儀作法は、職場(城内)や家庭において生活必需品であり、絶対的価値が置かれていたと言うお話をしましたが、衣食住の充実と共に、やがて礼儀作法は武家社会から、一般庶民まで普及していきます。
例えば、時代劇にも度々登場しますが、町人が大奥や武家の屋敷に奉公することが多々あり、そこは、特に年若い女性にとっては、今流の格好のフィニッシングスクールで有ったかもしれませんね。
このようにして礼儀作法を身に付けた男女が再び、家庭や職場に帰り、習ってきた事を伝えたので、礼儀作法はかなり普及したと思われます。
なにしろ、礼儀作法が当時、総人口の約一割くらいであった武家階級から、約九割を占める一般庶民へと普及したわけですから、この意味はとても大きく、日本人の精神構造に多大な影響を与えることになるのもうなずけます。
ただ、今の日本は民主主義が浸透し、身分の違いはないですが、江戸時代は町人と武家階級では何から何まで圧倒的な違いが有り、礼儀作法の価値観も当然異なるわけですね。
つまり、武家階級は、石高と言う先祖代々伝わって来た収入源が有り、その家に生れた以上、それに応じた生活は保障されるわけです。
従ってその家を絶やさない努力は必要ですが、余程の失態が無い限りは、安定した生活ができます。
早い話し、武士は主君の家来で有る限り、安定した経済力と権力が保証されているわけですから、それを守るために、礼儀作法もおのずと、いかにして主君を敬い、主君に仕えるかという形式に重きが置かれるようになります。
だから、他人に対する「思いやり」より、「自己の保身」が大切になります。
しかし、安定した経済的基盤や権力の無い一般庶民は、そのようにはまいりません。
武家階級がゆったりした空間で、一定の人間関係に中で生活するのと異なり、一般庶民は人口密度の非常に高い所で、ひしめきながら生活をしていくわけですから大変です。ちなみに、当時の江戸は世界一人口が多く、約100万人いたと推計されています。
複雑多様な人間関係の中で、何の権力も経済基盤も持たない庶民が、安定した生活を築くに当たっては、全ての人が助け合いの精神で、協力しながら生きて行く必要が有ります。
だから、自然に生活の知恵として、公共精神が芽生え、思いやりの心が芽生えたのではないでしょうか。そして、これが、今話題になっている「江戸しぐさ」の原型ではないかと思います。
ただ、江戸しぐさと呼ばれているものは、文章でキチンと記録されている訳ではなく、そのほとんどが、口頭で語り継がれているので、その信ぴょう性は確かではないと思います。
殆どの者が読み書きでき、しかも公務として必要な武家の礼法と異なり、名字もなく、読み書きもままならぬ一般庶民が、生活の知恵として普通に行ってきた江戸しぐさが、記録に残っていないのもいたしかたないことです。
しかし、何かと慌ただしい時代で、夫婦・家族・地域・職場における絆の希薄化、陰湿ないじめや自殺の増加、自然環境の悪化等などと、深刻な社会問題が浮上する現代において、先人が経験や知恵を働かせ重ね築いてきた、良好な人間関係づくりや、自然との上手な関わり方等を見直そうとする気運が高まっていることは確かです。
そこで、多々ある江戸しぐさの中で、特に公私とも参考になりそうなものを、平松流に脚色し、幾つかランダムですが、取り上げて行く予定です。
格式を重んじ、危機管理的要素が強い武家礼法にも学ぶ点は有りますが、良好な人間関係作りに重点を置き、思いやりの精神に満ちた、一般庶民の「江戸しぐさ」は、なにかと参考にすべき点があると思います。
乞うご期待下さい!