マナーうんちく話500≪継続は力なり、500回ありがとう!≫
日本は、昭和20年に敗戦を迎えて以来67年間戦争を経験していない、大変平和な国です。
さらに、物質的にも大変豊かで、教育や治安も行き届き、長寿国でも有り、何から何まで大変恵まれています。服や食べ物も、有り過ぎて、何を着ようか?何を食べようか?迷う位です。
しかし、前回の続きになりますが、終戦直後は国全体が荒廃し、食べ物・飲み物・着る物・住まい等など、生活必需品の全てが不足し、毎日を生きるのが精一杯の時代であったと思います。
そんな状況の国に、南方や大陸から多くの人達が引き揚げてくるわけですね。
でも、貧しいながら、別れ別れになった肉親や友人が、生きて日本に帰って来るのが、何物にも代えがたい喜びだったのではないでしょうか?
多くの人達が首を長くして、出征した人の帰還を待たれたことと思います。
そこで、昭和20年の暮れにNHKが、彼らを励ます特別ラジオ放送を流したわけです。
この時謳われた曲が、前回触れた「里の秋」です。
NHKのラジオから流れた「里の秋」の歌の反響は、前例がない位すごかったそうです。
童謡や唱歌には、ほのぼのとした愛が沢山散りばめられている気がしますが、この「里の秋」の、暖かい旋律と歌詞が、戦争ですさんだ日本人の心を和らげてくれました。
さて、この曲を作詞した斉藤先生ですが、当時の日本の軍国主義を忠実に守り、小学校の教壇で教え子達に、戦争の正当性と、日本は戦争に勝つ!と教えてきたわけですね。
「欲しがりません、勝つまでは」という、国民の不満を半ば強制的に抑圧する戦争中の標語がありましたが、まさにそれです。戦争に勝つまでは「贅沢は敵」、「質素は美徳」と生徒達に厳しく教えていたのでしょうね。
当時の教師としてはそれが責務だったと思います。
しかし、日本は敗戦を迎えました。
先生は結果的に、生徒に嘘をついたことになります。
そして、先生は教師を辞めました。
当時の状況を考えれば、一旦職を辞したら、先ず再就職は無かった頃です。
しかも、先生は国家の方針に忠実に従った模範的な教師だったわけですが、不幸にも生徒をだました結果になったため、責任を取ったわけです。
この先生の潔さには頭が下がります。
当時は、物質的にも貧しく、言いたいことも言えず、苦労も決して半端ではなかったと思いますが、こんな気骨の有る先生が多くいたせいで、日本は世界中で一番教育が生き届いた国になったのではないでしょうか?
昔、私が通っていた小学校は、全校生徒が1500人位いて、一クラスに55人の生徒がいました。
それを一人の先生が切り盛りしていたように思います。
現在のように、副担任もスクールカウンセラーも何もかもなかった時代です。
しかも当時の教師の給料はとても安かったようです。
だけど、なぜか骨太の先生が多いかった気がします。
だから、55人もいるクラスでも、とても良くまとまっていました。
鬱になるような先生も、陰湿ないじめも、校内暴力も、不登校も有りません。
教師対生徒、教師対保護者には信頼関係が存在していました。
そして、今でも当時の先生方には感謝しております。
選挙の度に、あるいは政権が変わる度に、教育問題が取り上げられますが、事態は一向に改善されません。
一クラスの定員を減らしたり、スクールカウンセラーを配置するもいいのかもしれませんが、何もなかった時代に、このような骨太の先生が大勢存在した事実を理解して頂くのも良いかもしれませんね。