マナーうんちく話604≪武士は食わねど高楊枝≫
5月も下旬に差し掛かると、瑞穂の国日本では、いよいよ農作業が多忙になります。
緑は濃くなり、太陽の光はまぶしさを増し、気温も上昇傾向で、全てが元気盛りの時です。
しかし、それとは裏腹に、就職や転勤や移動などで、慣れない職場での人間関係によるストレスがたまり、重苦しい気持ちになっている人もいるのではないでしょうか?
日本では、4月に新年度がスタートしますが、それに対する期待感はあったものの、結局うまくいかず、イライラしたり、食欲なくなったり、会社に行きたくなくなったりする症状が5月に出るから「5月病」といわれますが、正式な病名ではなく俗名だそうです。
リラックスしたり、昔の仲良い友人等に会ってみることが、その対策法としてあげられていますが、いずれにせよ、日頃からから自分を大切にし、元気で過ごしたいものですね。
ところで、5月は、農業に関しての季節指標が2つあります。
その一つは「マナーうんちく話234《お茶ともてなしの心》で取り上げた「八十八夜」です。
そしてもう一つは、5月21日の、二十四節季の一つ「小満(しょうまん)」です。
これは二十四節季の一つでありながら、ほとんど知られてない言葉だと思います。
木や草が益々生い茂る頃で、鶯が鳴き、燕が子育てに励み、蚕が桑の葉を食べ始める頃だとされています。そして麦畑はほのかに黄緑色に色づき始めます。
街中で暮らす人には、いずれもピーンと来ないものばかりだとおもいます。
そして、これではなぜ「小満」表現されるのか、その意味をなしていませんね。
現在では麦畑を見かけることはあまりありませんが、昔はよく目にしたものです。
すでにお話ししましたが、麦は、秋に種を蒔き、ちょうど今頃に穂をつけるので、その穂を確認したら、ホットひと安心できたわけです。
「ひと安心する」=「少し満足する」です。
昔は殆どの人が米や麦を作り生計を立てており、その人達にとって、その米や麦の出来具合がすべてで、まさに生死にかかわる重大事だったわけです。だから、秋に蒔いた種が成長し、穂が出てきたら、それでひと安心、つまり一応満足できたわけですね。
しかし、まだ収穫には至らず、食べることはできないので、大満足することはできません。
表題の「生きることは食べること」とは、このような意味で捉えています。
先日、我が家に巣作りしていた燕の卵がかえり、只今、親鳥は、朝から晩まで、餌を運んでいます。
燕にとって、「子育て」=「餌運び」。これが全てですね。
卵を産んだら、それがかえるまで、ひたすら抱いて温める。
卵がかえれば、朝から晩まで、さぼることなく、雨の日も風の日も、子のために、無心に餌を運ぶ姿には感心します。
教えられるところが多々ありますが、親子無事に旅立つ時は、とても感動的です。
ちなみに、皆さんは、一番幸せを感じ、満足を味わう時は、どんな時でしょうか?
「美味しいモノを食べている時」と答えられる方も多いのではと思います。
また親元を離れて一人で暮らしている人。
お母さんから「ちゃんと食べているか?」と聴かれることも多いのではないでしょうか?
動物にとっても、人にとっても、命の根源をなすものは、食べることです。
しかし、地球温暖化による気象の変化、風水害、戦争、飢餓の拡大、さらに農業従事者の減少や高齢化等により、「食べること」の課題は山積みです。
加えて食料廃棄物(残飯)や孤食・個食等、食べ方にも多くの問題が潜んでいます。
私は日頃から、農業、漁業、畜産業は、まさに生きるための産業だと思っています。
農業、漁業、畜産業に従事する人がいて、さらにそれらを運ぶ人、市場で販売する人、料理する人が加わり、私たちは、食べ物を、初めて口にすることができます。
現在は、麦の穂を確認したり、蚕が桑の葉を食べる姿は見ることはできませんが、「小満」の日に当たり、今一度全ての面で、食べることにキチンと向かい合っていきたいものです。
「食べ方」が良くなれば、それに連れて「生き方」も良くなります。
「テーブルマナー」は、まさにそのために存在します。