人を愛するとなぜこんなに苦しいのか ~愛という苦しみを乗り越えるために出来る事~
「好きかどうか」ではなく「心を開けるかどうか」――。
現代の若い人たちは、恋愛や結婚に興味がないとよく言われていますよね。
しかし、彼らは本当に、誰かを好きになる感情を失ってしまったのでしょうか。
私は、実態は少し違うのではないかと思っています。
彼らは相手を好きになれないのではありません。
そもそも、人に対して「心を開くこと自体が億劫であり、怖い」と感じているのではないでしょうか。
その結果として、恋愛に対しても慎重になり、一歩引いてしまっているように見えます。
では、なぜ現代の若者にとって「心を開くこと」がこれほどまでに高いハードルになってしまったのでしょうか。
今の時代、私たちはSNSなどを通じて、常に他者からの評価に晒されて生きています。
「いいね」の数や、画面の向こうの見えない誰かの言葉に、誰もが多かれ少なかれ傷つき、自分を守るためのアンテナを張っています。
そんな環境で育った彼らにとって、自分の素の内面をさらけ出す「心を開く」という行為は、あまりにもリスクが高いものです。
「もし拒絶されたら、もし否定されたらどうしよう」と考えると、自分の心の一番柔らかい部分を他人に差し出すことが怖くなるのは、ある意味で当然の防衛本能かもしれません。
さらに、深い人間関係を築くプロセスには、膨大な時間と精神的なエネルギーが必要です。
時には意見がぶつかり、面倒な葛藤も引き受けなければなりません。
効率やタイムパフォーマンス(タイパ)が重視される現代において、この「不確実で傷つくかもしれないプロセス」に飛び込むことは、非常に割に合わない、億劫なものとして映ってしまうのです。
もちろん、背景には経済的なゆとりのなさや、一人でも楽しめる娯楽の充実といった社会的な要因もあります。
しかし、それらは彼らの背中をさらに引き止める、副次的な要素に過ぎないと感じます。
核心にあるのは、もっと個人的で、切実な心理的障壁です。
彼らは決して、冷淡になったわけでも、感情を失ったわけでもありません。
現に、アイドルやキャラクターを対象とした「推し活」などでは、驚くほど純粋で旺盛な「好き」という感情を爆発させています。
なぜそれができるのかといえば、相手が「自分を絶対に傷つけない存在」だと分かっているからです。
しかし、リアルな恋愛や結婚はそうはいきません。
双方向のコミュニケーションであり、お互いがむき出しの心で向き合うことを求められます。
若者たちの恋愛離れの本質は、恋をする能力の衰退ではありません。
心を開いた結果として生じる「自分が傷つくリスク」や「対人関係の葛藤」を、あまりにも賢く、あるいはあまりにも臆病に避けようとする、現代特有の防衛心理の現れなのだと思います。
「好きかどうか」を議論する前に、まず彼らが安心して「心を開ける」ような関係性の土壌が、今の社会にどれだけ残されているか。
私たちは、その根本に目を向ける必要があるのではないでしょうか。


