紛争の火種はどこからもたらされるのか ~自分のモノからの脱却~

宮本章太郎

宮本章太郎

テーマ:思考と考察・生き方を学ぶ

世界では紛争や戦争など争いが絶えず
言い分はともかく歴史は繰り返されています。

紛争の発端となるのは
領土問題や民族、宗教など互いの違いを認め合えず
お互いの反発によって生じるものではないでしょうか。

例えば考えたいのは
国境や領土問題にしても
どうして自分たちのものと考えるのでしょうか?
大地というのは誰のものなのでしょうか?

もともと住んでいたのが誰(どのような民族=先住民族)であっても
その大地はその民族のものでもなければ
誰か個人の所有地でもないはずです。
(居住権など権利とはまた別問題で
もちろん誰のものでもないからといって侵略して良いわけではない)

そして民族がどうかという以前に
同じ国、同じ民族同士でも
ここは自分が住んでいるんだ(つまり自分のものだ)と
小さな規模(単位)においてもお互いそれぞれの権利や言い分など主張があり
時には衝突を生んでいます。

領土(国土や民族)がどうであれ
同じ国民や隣人同士でもお互いが自分のものだと主張して止まないのですから
大きな規模においても争いが絶えないのは規模の大小に違いはないんですね。

同じ住居に住む家族同士であっても
ここは自分の部屋(居場所)だと自分の領土(占有権)を主張し
そこを占拠しては争いが生まれたりもします。
(例えばテレビチャンネルの所有権にしてもそう)

社会制度としては自分の土地(住居)だとしても
本来その場所は自分(人間)のものではないはずですし
もちろん個人のものでもありません。

そしたら一体何を争っているのでしょうか?
自分の主張というものが果たして正しいのでしょうか?
(制度としての正しさではなく)

このような理由で私たちが争いを繰り返すことは
お互いが自分の主張を譲らず、また、譲れない何かが自分の中にあり
勝手に“自分のモノ”だと認識してしまっているからなのかも知れません。

そこはあなたのモノでもなければ私(自分)のモノでもない。

このような考えに基づいて考えれば
世界で起きている紛争や戦争も
一体何が人をそうさせているのか、争いに向かわせるのか
考えるほどに虚しく感じてしまうのは私だけでしょうか。

そんなことで争いを繰り返し
犠牲者や殺害を生み出している現実。

そうまでして奪わなければならない理由は
やはり“自分のモノ”の意識からなかなか脱却できないから
他者(よそ者)に侵害されることが許せないのかも知れません。

いかに自分のモノやよそ者の意識を取り払い
互いに共有・協力していこうとする意識を持つことができれば
世にあふれる喧騒や争い事も少しは抑えることができるのかも知れませんね。

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宮本章太郎
専門家

宮本章太郎(心理カウンセラー)

京都カウンセリングラウンジ

心の健康のみならず、メンタルに関連して起こる様々な身体への影響や健康に関する知識が豊富ですので、うつ対策や不眠症の改善といった、総合的な健康法についても心理学の観点からアドバイスと情報提供が可能です。

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