人に思いを打ち明けると、なぜ気持ちがスッキリするの? ~話を聴いてもらう事の効用~
よく「自分の限界を決めるのは自分だ」と言われますが
そりゃそうですよね。
ここまでと決めたらそこまでですし
自分で線を引いたところが終わりで
それ以上やるもやらぬも自分次第。
だから自分の限界を決めるのは自分というのは当然なのですが
人間には身体的能力にも限界がありますし
思考能力にも限界があります。
人間という構造上どうしても超えられない限界は存在するわけです。
だったら自分の限界を決めるのは自分というのはおかしいですよね?
自分じゃ決められない限界だってあるのですから。
もう少し日常のシーンに落とし込めば
睡眠の限界だってそうじゃないでしょうか?
いくらまだまだ頑張って起き続けるぞと決め込んでも
自分の意志では限界を突破できないでしょうし
まばたきだってそう。
生体反応はすべからく
いずれも自分の意志で一生続けられるものではありません。
自分でここまでと決めても決めなくても
物理(原理)的な限界は生じるわけです。
では自分の限界を決めるのは自分だと言うなら
限界を決められない自分とは何なのでしょうか?
また、ここまでといったように限界を決めている自分とは何なのでしょうか?
睡眠にしても
自分の意志とは関係なくやがては限界を迎え眠ってしまうように
やはり自分の限界は自分で決められないわけですね。
(もちろん寝ると決めたらそこが限界だとは自分で決められますが)
だったら自分とは何なのでしょうか?
自分では限界を決められないのに
ここが限界だと決めている“自分”とは何?
自分とは、自分であって自分ではないということなのかもしれませんね。
(自分を自分だなんて思わないこと?)
じゃあ自分とは誰なんだということになるかもしれませんが
限界を決めてるのは誰だ?という事で言えば
自分の意志ではない自分などというパラドックスが生じてしまいます。
別に何か答えのある話ではありませんが
私たち(自分自身)の不思議を考えてみると
存在論にまで及ぶ不思議な話ですよね。
私はこの話から
皆様なりの見解をお聴きしてみたいです。