正々堂々と自分を生きる
突然ですが
皆さんはお釈迦さんのような御仏に対して
どのような印象をお持ちでしょうか?
全知全能で、何でも願いを叶えてくれたり
苦しみから救ってくれるといったイメージがあるかもしれません。
そしたら私たちはなぜ未だに救われてないのでしょうか?
そもそも救いとは何なのかといった話もありますが
苦しみのないようにという意味でなら
仏さんは何も救ってくれてません。
それなのにどうして全知全能
万能みたいに思ってるのでしょうか?
お釈迦さんの教えもそうですが
そんなに立派で偉い存在なら
誰でもわかるように、後世までその教えを広く享受できて
いつの時代でも救われていなければならないはずです。
しかしそうはなっていない。
つまりお釈迦さんといっても
全知全能で万能ではないんですね。
もちろんお釈迦さんに欠陥があり
欠落しているといった話をしてるのではありませんよ。
私たちが勝手にそう思ってるだけで
お釈迦さんもそんなことくらい承知でしょうし
だからこそ生前は苦悩なさったわけです。
お釈迦さんの教えに関して言えば
私たちが思い込んでるようにお釈迦さんが全知全能かどうかではなく
その教えをいかに活かしていけるかが問われているのであり
お釈迦さんが直接私たちを救ってくれる存在というわけではないということ。
救われるかどうかは
救いを乞う私たち自身にかかってるんですね。
(何もしなくても仏さんが直接救ってくれるわけではない)
もしお釈迦さんが私たちを救ってくれるような存在なら
今頃とっくに救われてるでしょうし
未だに救われない、人生が苦しみで満ちているこの世界は
説明のつかない世界になってしまいます。
だから御仏が私たちを救ってくれるという思い込みは誤りなのです。
仏教に限らずどのような経典の教え(啓示など)に関しても
そんなものは私たちが自分たちの都合の良いように解釈してるだけとも言えますし
本当は人間レベルの教えを説いているものではなく
もっと違う次元(別次元の事物や事象)を対象としているものなのかもしれませんね。
だから私たち人間には解釈できないのかもしれません。
実際曼荼羅図なんて見ても
そこにどのような意味が込められているのかわかりますか?
そもそも何か意味(何らかの意図)などあるのでしょうか?
単に美術品としての観点でしか解釈できませんし
その意味に関しても私たち各々で解釈(受け止め方)も違ってきます。
もしお釈迦様が全知全能で何でも見通すことができる存在なら
これはこういう意味ですよともっとわかりやすく私たちに教えてくれたら良いんですね。
しかしそうできない、そうしてないのは(そうなってないのは)
お釈迦様の教えや意図の解釈(真意)と
私たちが勝手に思い描いている解釈やイメージがズレていると言えるのかもしれません。
お釈迦様から言わせてみれば
誰があなたたちを救うなんて言いましたか?と
滑稽に思われているかもしれませんね。