北海道で行方不明だった男児が無事保護された件 ~この一件は親としての資質が問われる時でもある~
ジェンダーの問題が盛んに言われてますが
格差の問題、差別の問題、同性婚など
私は認めて改善を進めていけば良いと思います。
しかしジェンダージェンダーと叫ばれていますが
何でもかんでもジェンダー問題に結びつけるのはどうでしょうか。
「らしさ」といった性差の押し付けや思い込みを改めていくことは必要ですが
少し男性か女性か、男性が女性がといった話が出てきただけで
すぐさまジェンダーの問題に結びつけるのは違うと思うんですね。
トランスジェンダーなど
性差によって苦しんでいる人のストレス軽減を図る目的ならわかりますが
男性の割合とか女性の割合がと比率のみに着目して取り上げるのは
それこそジェンダー問題で趣旨が違っているのではないでしょうか。
ジェンダー問題の是正というのは
本来男性であっても女性であっても性差による違いはなく
一人の個性、人格者として扱うこと(接すること)なのであって
男性ばかりだから(多いから)もっと女性の比率を増していこうといったように
単に比率の問題ではないはずです。
性差に関係なく、一個人として相手を(その人を)尊重することであるはずなのに
単純に女性の比率を増やせば良いといったように
質より量の問題になってないでしょうか?
違う言い方をしてみますと
ジェンダー問題とは人権問題に関わる事案に対して取り扱われるべき問題であって
男女比の問題は人権問題(=ジェンダー問題)とは何も関係がないということ。
結びつかないということなんですね。
それなのにジェンダーと言えばもっと女性の参加を増やそうとか
女性であっても特に望んでない人までみんな同じ意見であるかのように
この問題が扱われること自体が問題なのではないでしょうか。
趣旨がすり替わってるんですね。
これでは男性も女性もなくなってしまいます。
(男女の違い(性差)そのものはあるのに)
残念なことに私は男性ですので
どうしても男性目線からの考えとして受け取られるかもしれませんが
私がもし女性であってもそれは違うだろうとそれこそ性差の違いを越えて
問題がすり替わっていることに対して考えを述べていると思います。
何度も言いますが
私は女性の活躍を応援してますし
男性が優遇されていたり格差につながるような問題
性差によって役割が決まっていたり制限されるのには異を唱えますが
ジェンダー問題によって苦しんでいる人たち
つまり人権問題に関わるような問題に対して行動を起こしていくことが
本来のジェンダー問題解消の取り組みではないでしょうか。
この問題が大きく取り上げられるようになって
私たちはどこか、生物的な男女の違い(性差そのもの)をなくしてしまうことが目的にはなってませんか?
解消と言えば性差そのものをなくしていくことではなく
人権格差の問題を解消していくことだと私は思います。