自分では気づかない、過保護という名の虐待 -どこまでが過保護なの?-
子育てでも何でも
褒めて育てることを言われます。
しかし相手に褒めるところがなかったり
つい口やかましく叱りつけたり
褒める効用について言われてもなかなか上手く褒められません。
冷静に考えてみれば誰でもわかることなのですが
誰が怒られながらやって(取り組んで)成長したり上達するでしょうか?
怒られるということは本人(相手)にとっては自分はダメな人間で情けなく
仕方ないからイヤイヤやらされているに過ぎず
その取り組みはストレスでしかないんですね。
そんな気持ちで取り組んでも
誰が上達できるでしょうか?成長できるでしょうか?
同じことで怒られ、同じ失敗を繰り返し
もう嫌だと自分の我慢(忍耐)の限界と戦い続けているだけ。
いくら教えても上手くなるはずがありません。
(教えてるのではなく叱りつけているだけ)
褒めると言えば嘘をついて(無理やり見つけて)褒めても
おだててご機嫌を取ってるのと何も変わりませんから
ただ褒めれば良いというわけでもないんですね。
ではどのように相手を褒めれば良いのかと言いますと
褒めるというより
よく頑張ってるねというように
相手の努力(取り組み)を“認めてあげる”のです。
そう、褒めるというより認めてあげるわけです。
ですので例えば子育て(教育)において勉強をしない子に対しては
努力も何もしていないのですからわざわざ褒める必要もないのです。
逆に怒る必要もありません。
勉強をして欲しいからと、してもいない努力を褒めるなんて出来ませんし
それで相手が勉強(成長)をしてくれるわけでもなければ
自分が褒めると思ってるのはただおだてて勉強をやって欲しいだけなんですね。
褒めるのと努力を認めるのとは違います。
勘違いしているかも知れませんが
褒める教育というのは、相手の努力に対して認めてあげることです。
そして努力を認め褒める(称賛する)ことは
相手にとって心地良いことであり
できるかどうか、上手くやれるかどうかは別として
自然に向上心につながるんですね。
だから褒めるように言われるわけです。
社内(職場)教育のシーンについても同じ。
あらゆる教育の場面で
相手を認めてあげることをしていくことによって
心地良い環境の中で相手はどんどん成長し続けるでしょう。
していない努力は褒めなくてもいい。(というより褒められない、褒めようがない)
している努力に対して認めてあげること。
これが相手を褒める教育だというわけです。
自分がやってもらいたいがために無理やり褒められる点を探そうとしても
人が自分の期待に応えてくれるようになるというわけではありませんので
ここは考えを変え、相手に成長して欲しいと願うなら
いかにして相手が心地良い環境や状態で取り組めるのかに着目し
まずは認めてあげること(取り組みに対する評価)をしてみてください。
そのためにはまず自分の態度や振る舞いを改める必要がありますね。
やろうとしてるんだけどなかなか難しいという方は(企業様でも)
心理カウンセリングを通してサポートいたしますので
私と一緒に取り組んでいきましょう。