大阪都構想の住民投票率が66.83%だった事について、そこから見えて来る人間心理
安倍元首相の銃撃事件がありましたが
こういった事件(特に政治家が対象)に際して
記者会見の取材やコメントでいつも言われるのが
民主主義に対する何々とか、民主主義への何々といった
「民主主義」(に対する)ということをよく言われます。
いやいや、違うでしょ。
人が撃たれ殺されてるんですよ?
民主主義じゃないでしょ。
なぜまず真っ先に民主主義なのかと
私はいつも疑問に思うんですね。
まず最初に撃たれた人
被害にあった人に対して向けられた言葉でなくてはならないと思うのですが
どうしてそうこんな事態でも民主主義が出てくるのか。
しかも最初に。
政治の世界だから?
関係ないと思いますけどね。
人が死んでる(亡くなった)のに民主主義がどうのこうのと
言葉選びがおかしいですし(間違っているということではなく)
本当に政治家は政治のことしか頭にないんだなとつくづく感じます。
(ただし私の場合も、やはり心理カウンセラーとして
常に心理学のことが頭にあるという点については同じですので
政治家に対して人格を疑う趣旨や意図はありませんし
理屈は理解しているつもりです)
もし政治家だから当然という考えなら
そんな思考そのものが私には理解しがたいですし
政治家の前に一人の人間としての死の悼みを何も感じないのかなと
この言葉(「民主主義」)を聞いていつも疑問に感じるのです。
やはり私の感覚がおかしいのでしょうかね。