心の負担が軽減される仕組みの解明と解説 ~知識と経験による、脳機能の自動プログラム化~
人の笑いってのはね
面白いことを言ったりやってるか(行為・行動)で笑うんじゃないんです。
人の笑いの根源にあるのは
自分より相手を上に見ているか下に見ているかなんですね。
(必ずしも上下関係という概念であるとは限りません)
見ているかどうかと言っても
頭で考えて意識的にそう思ってるわけではなく
無意識の中にそういう働きがあるということです。
人は自分より下に見ている(見下している)人からは笑いません。
(例えば心の底から憎んでいる人や生理的に受け付けない人からは笑いが生まれない)
しかし自分より上に見ている人。
例えば尊敬している人や社会貢献しているような立派な人に対しては
何も特別面白いことを言ってなくても(日常会話レベルの話でも)
この人がこんなことも言うのかと、その意外性から笑いが生まれるんですね。
人の笑いとは漫才やコントのような“お笑い”とは違って
面白いから笑うのではなく(面白いことを言ったりやったというよりも)
自分から見た水準のギャップによって生まれるということが言えます。
つまり価値観の違いとも言えるでしょうか。
例えしょうもないことを言ったとしても
自分が崇拝してるような人が言えば大したことを言ってなくても笑いが生まれますし
逆に自分が見下してるような人が同じことを言っても笑いは生まれません。
むしろ何を言ったとしても
本当に面白いことをしてたとしても笑わないでしょう。
やることなすこと全てうっとしいだけではないでしょうか?
ですので笑いというのはその内容が面白いかどうか
しょうもないかどうかとは関係なく
自分基準から生じる格差によって生まれるものなんですね。
何度も言いますが、意識的に思考して上下を分けているわけではなく
自分では無意識の中で生じているものですから
笑いはその内容(中身)とは関係ないということがおわかりいただけましたでしょうか?
とはいえ両極端に面白いか面白くないかと
白黒はっきり分かれるものではありませんので
例え相手を嫌っていても(嫌悪していても)
その人に対して一切笑いが生まれないということではありません。
ある程度スペクトラム(連続性・差分)があるということ。
ですのでこれからは面白い人面白くない人の見方が変わるかもしれませんね。
笑いは自分の中にあるのかもしれません。(自分基準)