私たちに向けられた『死』という牙 ~望めば否定され、避けようとすれば襲い掛かってくる~

宮本章太郎

宮本章太郎

テーマ:思考と考察・生き方を学ぶ

安楽死や尊厳死、自殺にしてもそうですが
死ぬことがいけない、死んではいけないように言われてますよね。

どうしてでしょうか?

私も基本的に死ぬこと(特に積極的な死)には賛同できませんし
なるべくなら生きたいと思えるような世の中に取り組んでいきたいと思いますが
法整備の前に生きたいと思える社会にというのはどうして?
そもそもどうして死ぬことや死んではいけないの?

生きたいと思える社会にと言われる一方
殺人や死刑、そして戦争などによっても
死を望んでなくても人の手で殺害される事態もあるわけですね。
もちろん自然死だって望んでなくても避けることは出来ません。

死ぬことはいけないとされながら、どうして人殺しは成立するのでしょうか?
手段や経緯を問わず、同じ死ということがいけないとされる世の中にあって
どうして人殺しなんて起こってしまうのでしょうか?

不思議ですよね。

どうして死んではいけないのか?
どうして生きなければいけないのか?
誰か答えられますか?

私が個人的に感じるのは
そこにある思いというのは全部自分が主体にあるのではないでしょうか?

一見相手のことを考えているようでも
死んでほしくない、死んではいけないと考えるのは
全部自分のため。

もし本当に相手の意志を尊重しているのであれば
例えどのような理屈や状況にあれ
本人が死にたいと望んでいるならそれは誰にも否定できないと思うんですね。

実際最終的に死を選択するかどうかは別として
相手がそう望んでいることを否定することは
そこには自分の思いがあるということ。
決して相手のことを考えて(相手のためを思って)出てきた理屈ではないと思うんです。

もしこれこれこういう理由があって死んではいけないという何か答えがあるなら
それはすべからく自分の考えや思いの押し付けであって
死にたいと望んでいる本人にとってはそれこそが苦痛の元になるんですね。

いや、死なんて推奨しませんよ。
賛同する気もなければ到底受け入れられるものではありません。

だけども法整備の否定や生きたいと思える社会だなんて理想論で現実から目を背けるよりも
まずそこには本人が死にたいと思っているという、生きることの苦しみを訴えている
本人の気持ちに寄り添い、尊重することではないでしょうか?

死ぬことはいけない、死なせないようにと自分の思いや価値観を押し付ける前に
私はまず死にたいと感じている本人の意思を尊重したいと思います。
(尊重する=死ぬことを推奨するということではございません)

死がいけないならどうして人殺しをするの?
人々は殺し合うのでしょうか?

そこには“自分にとっての/相手への思い”が存在しているのかもしれませんね。
(相手のことは無視した自分勝手な相手への価値観の押し付け。
もちろんそれがダメだとか悪いという話ではありませんよ)

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宮本章太郎
専門家

宮本章太郎(心理カウンセラー)

京都カウンセリングラウンジ

心の健康のみならず、メンタルに関連して起こる様々な身体への影響や健康に関する知識が豊富ですので、うつ対策や不眠症の改善といった、総合的な健康法についても心理学の観点からアドバイスと情報提供が可能です。

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