《悪の必要性とその意義》悪や悪人とは何か? ~時代によって生まれるものであり、悪人と罪人とは違うもの~

宮本章太郎

宮本章太郎

テーマ:思考と考察・生き方を学ぶ

皆さん悪や悪行というのは何でしょうか?

悪い行いをすること、罪を犯すことというように
罪悪に対する悪を悪いこと(つまりいけないこと)だと思われてるかもしれません。

私は悪とは、そういった概念的な悪ということとは別に
その時代やその時代の価値観が悪を悪にしているだけだと思うんですね。

そして時代が動く時、変わる時こそ悪の出現が必要になるのだとも考えるのです。

どういうことかと申しますと
例えば安楽死の是非についてですが
現代の価値観ではやはり多くの人に安楽死は容認されないものだと思うんですね。
法案でも認められていない国が圧倒的です。

ですけども人の死に対する理解や議論が深まり
その価値観が変わって安楽死を容認する時代になったとしたら
現代では安楽死を処方することは悪行そのものでしかないかもしれませんが
(実行する人物は悪であり、罪に問われて悪者扱いされてしまう)
もし時代の価値観が変わればそれは必ずしも悪にはならないということです。

つまり時代が変わるときには、その前には必ず悪というものが登場するんですね。
(別に変わらなくてもそうですが、善を前提とした悪というものが誕生する)

その時代に悪が悪行を行うからこそ、時代が変わって前の時代の悪が次の時代の善となったり
善悪や物事の価値観は時代によって変わってしまうものではないでしょうか?

ですから今の時代にはたとえ悪行であったとしても
それは必要悪というだけのことであり
悪がなければ時代が変わっていくこともないでしょうし
必ずしも絶対悪などという悪い行いだと言い切れるものではないと私は思うんですね。

これは決して安楽死の話をしているのではありません。

では時代が変わらないとはどういうことでしょうか?

奴隷制度(及び植民地支配や帝国主義といったもの)があった時代には
人種差別や人身売買が当然のように行われていましたし
(現在でも根強く残っていますが)
今も変わらず同じように続いていたとしたらどうでしょうか?

奴隷制度もその時代にはある意味では(一部の人たちにとっては)善だったのです。

それでもやはり時代は変わらないままのほうが良いのでしょうか?
その時代には悪行であったとしても(例えば奴隷制で言えば主の側から見て、奴隷の立場の人が主に歯向かうこと)
やはり是正するべきだと悪行に徹することは
それでも悪いいけないことだと言えるのでしょうか?

これが時代が変わらないということです。

要点を上手く伝えられているかどうか、誤解や語弊が生じているかもしれませんが
皆様にはぜひ丁寧にじっくり向き合って考えてみていただきたいのです。

だからどうという話ではありません。
もちろん何が正しいといった正解の答えがあるような話でもありません。

あくまで私が考える悪というものの意義についてをお伝えさせていただきました。

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宮本章太郎
専門家

宮本章太郎(心理カウンセラー)

京都カウンセリングラウンジ

心の健康のみならず、メンタルに関連して起こる様々な身体への影響や健康に関する知識が豊富ですので、うつ対策や不眠症の改善といった、総合的な健康法についても心理学の観点からアドバイスと情報提供が可能です。

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