正々堂々と自分を生きる
京都新聞の読者投稿欄のコーナー、「窓」に投稿されたある読者の投稿記事の中に
余生は余生ではなく「与生」であるとの捉え方をしているという旨の投稿があり
共感の声と共に反響を呼び、注目されています。
残りの人生は余った人生ではなく、自分に与えられた残りの人生だということです。
私もこの投稿に感銘を受け、なるほどなぁと胸を打たれました。
同じ思いでこれからを生きていきたいと思います。
余った人生をどう過ごすかではなく、与えられた人生をいかにして生きるか。
自分に与えられた人生をただ過ごすのではない。(余生)
過ぎるのを待っているような受け身の人生ではなく、これからをどう生きるか。
今までの経験や知識を活かしていく人生。
皆さんはこの考え方に何を感じ、どう思われますか?
活かすとは生かすとも言えます。
ただ死を待つのではない、生きる意志に基づいたポジティブかつアクティブな人生。
それが余生ではなく与生であると言えるでしょう。
一見当たり前のようで、何の変哲もない考え方のようにも思いますが
なかなかこの考え方の境地に達するのは難しいと言えるでしょう。
それほど私たちの人生は今の自分のことしか見えていない人生だと言えるからです。
ものの考え方捉え方が全て自分中心の人生だというわけです。
経済の先行き(見通し)でも、今の金利や為替レートでしか考えませんし
今後の予測は立てても、今がどうなのかを重要視します。
当然といえば当然なのですが
金融というのは日々刻一刻と変化するものですから
お金や経済は生き物だと言われるように、その時になってみなければ何が起こるのかわかりません。
このように常に人は今を考えるのです。
今こそが大事なのです。
そしてそれは仕方のないこと、当たり前のこと。
この先見通しが不安定だからと今に振り回されてお金を動かさなければ
動かない生き物など死んでいるのと同じですし
今の金利や利益を優先して(今に振り回されて)多額の投資に走ってしまうと
すぐにエネルギーは燃え尽きて生き物は死んでしまいます。
お金は天下の回りものとも言いますよね。
お金なんてそもそも自分の所有物ではなく、ただ所有保持していてもそれ自体には何の価値もありません。
お金や経済は滞らせてはいけないのです。
人生もこれと同じ。
人間と言えばお金や経済よりもわかりやすい生身の生き物ですから
いつまでも同じところに滞っている余生という過ごし方は
もはやただ死を待つだけの人生だと言えるでしょう。
動かないお金に何の価値もないのと同じ、何の価値もない人生になってしまうんですね。
しかしアクティブな人生である与生という生き方こそ
自分を活かすことのできる資産活用ならぬ、人生活用の価値のある生き方だと言えます。
始まりは一読者の投稿だったかもしれませんが、投稿を読んだ他の読者の方からの反響も大きく
私もその一人として「与生」という生き方を見習いたいと思いますし
この捉え方がもっと広く世に広まり受け入れられれば
人生100年時代、超高齢社会の世にあっても、いつまでも若々しくいきいきとした人生を生きられるかもしれませんね。
私は心理カウンセリングで皆様の心豊かな人生をお手伝いさせていただけたら
きっとそれが私の「与生」なのだと感じています。
皆様はどんな「与生」を生きたいと思われますか?
心理カウンセリングの中でじっくり聴かせてくださいね。